息子が時々『しゅしゅ』になって切ない
「きょうから、あたらしいちので〜す!しゅしゅっていうなまえで〜す!」
長男が初めてしゅしゅになったのは、半年くらい前。
長男を自転車の後部シートから降ろす時だった。
「しゅしゅ」という名がどこから出てきたのかは知らない。
「こんにちは、しゅしゅ。しゅしゅって、今までのちのと何が違うの?」
よく分からないけど挨拶して聞いてみた。
「しゅしゅは、あっちゃんをいじめないこなんだよ」
さらっと教えてくれた長男に、私はしばし絶句した。
* * *
3歳後半の長男「ちの」と1歳になったばかりの次男「あっちゃん」。
二人の男子の母として私は日々を過ごしている。
長男の癇癪。なかなか寝ないこと。自分の時間がないこと。
次男がなんでも口に入れること。高いところに登るので目が離せないこと。夜泣き。おっぱいトラブル。
些細な悩みは尽きない。
その中でも一番悩んでいるのは、長男が次男に暴力をふるうことだ。
自分の椅子に登ってきたのを怒って突き落としたり、おもちゃに触られたからと叩いたり、蹴ったり。
さらには理由なく、通りすがりにも張り倒したりするので目が離せない。
優しさが欠落しているんじゃないか、たまに本気で心配になる。
次男は強く、けろっとしている。
泣いても抱っこすれば機嫌を直す。
そして性懲りもなく、にいちゃんのところへ行く。また叩かれて泣く。
海の中に勝手にざぶざぶ入っていき、顔からつんのめっても一切泣かず。母の声も泥も何も気にせず好きなことをする次男。つよい。
兄弟喧嘩なんて、よくあることだろう。
でもいつか、もし取り返しのつかない怪我をしてしまったら、と思うと怖くて気が気ではない。
以前次男は窒息騒動を起こしていて、私は少しトラウマがあるのかもしれない。
目をぎゅっと閉じた紫の顔を忘れられない。
とっても強い子だけど、何かの拍子にひょいと後悔しきれないことが起きそうで、怖い。
そこでついカッとなって長男を叱ってしまう。
反射的にピシッと頭や腕を叩いてしまう。
これは躾、と自分に言い聞かせつつ。
それを超えた衝動が自分の中にあるのを自覚しつつ。
「もうそんな悪い子はしらない!」
そう言って、長男だけ残して隣の部屋に行く時もある。
「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!かーちゃん!あけてー!ごめんなさい!」
絶叫しながら壁をだんだん叩く長男。
心を無にしてドアを押さえつづける私。
次男はさっき泣いたことも忘れ、のんきに危険なことをしだす。
長男はこういう時、絶対に折れない。
あきらめてテレビでも見るか、とか絶対ならない。
喉から血が出ようが絶叫し続ける。
隣近所から虐待だと思われたらどうしよう。
結局数分で私が折れる。
「落ち着いて!もう泣かなくていいから。なにが悪かったかわかってるよね。ちゃんと謝ってごらん。」
抱っこされながらギャン泣きして、涙と鼻水と唾を私の服になすりつけた後、
「あっちゃん、けってごめんねっ!もうしないっ!」
と叫ぶ長男。
が、言っているだけで、すぐ繰り返す。
「あーーーっ!もううんざり!ふたりとも、はなれてろ!そばよるな!さわるな!」
と夕方以降、口汚く何度も叫んでしまう。
が、離れるわけもなし。
案外仲良く遊んでいる時もあるが、次の瞬間どうなるかはまるでわからない。
次男をバリヤーで覆えたらいいのに。
いつ何が起こるか分からない危険な距離感
* * *
だから
「しゅしゅはあっちゃんをいじめないこなんだよ」
と言われて、ずきっときた。
「あっちゃんをいじめないこ」
私がそれを望んでいるのを、息子はよく知っている。
そして、息子もほんとはそうなりたいのだ。
名前を変えて、しゅしゅに変身してまで。
それを私は否定も肯定もできない。
* * *
弟ができたというのは、長男にとって大変な出来事だろう。
世界の中心が自分だったのに、自分より優先される生き物が現れてしまったのだ。
「あっちゃんにおっぱいあげるから、ちょっと待ってて」
「あっちゃんのオムツ替えたらね」
「あっちゃん寝てるから静かにして!」
いままで自分ひとりのものだった母がそうじゃなくなる。
それがキツいだろうことは想像できる。
「私、これでも上の子優先をすっごい意識してがんばってるんだけどなぁ。」
だんなにグチったら
「それでも本人が足りないって思うなら、足りないんだよ」
と痛い正論を言われた。
暴力だけは肯定できないから、しゅしゅになってくれるのは嬉しい。
でも何か無理をさせてないか、変に後ろめたい。
そういえば長男が2歳のころは、しゅしゅの代わりにウサギになっていた。
「ぴょんぴょん、うさぎだよ。うさぎさん、だっこしてあげて」
手でうさぎ耳を作って、ジャンプしながらやってきた長男は決まってこう言った。
私は長男が飽きるまで、本気で抱っこしてなでなでして、ぎゅっと抱きしめた。
なんてかわいい!なんてシンプル!
* * *
「かあちゃん、さいきん、しゅしゅにあってないでしょ。あいたい?」
今日、長男にそう聞かれたので、
「そうだね、会いたいな」とこたえた。
「こんにちは!しゅしゅだよ!ひさしぶりー」
とすぐに息子はしゅしゅになった。
そしてあっちゃんのおもらしを拭いたり、あっちゃんのラクガキを消したり、大活躍をした。
でもしゅしゅはいつも、いつの間にかいなくなっている。
「ギャーーー!!!」
火がついたようになくあっちゃんと、そのそばで素知らぬふりをしている長男。
さて、また事態を収拾させねばならない。ひとまず怪我はなさそうだ。
ほんとうんざり。
でも、ずっとしゅしゅでいてよ、とは言わないようにしている。
「前のちのはどこに行ったの?」と聞いた時、
「ふるいちのは、ごみばこに、すてたんだよ」としゅしゅは言っていた。
「ええ!?かーちゃん、前のちのも大好きだったんだけど。捨てないでよ」
咄嗟にそう言ったが、
「でも、ふるいちのは、あっちゃんをいじめるよ。かーちゃん、いやでしょ」
と言われた。
「…そっかぁ」
全てを肯定してあげたいけど、暴力は許すわけにはいかず、私は曖昧な相槌で話を終えてしまった。
だから息子がしゅしゅになるのは、少し切ない。
しゅしゅにならなくても大丈夫な日が、いつかやってきますように。
いつもがんばってるよね。
ありがとう、ちの。
最後に余談。
自転車から降ろした最初のしゅしゅは言った。
「しゅしゅはあたらしいから、びにーるぶくろに、ぐるぐるにされてるんだよ。
だからひとりであるけないの。
だから、かーちゃん、しゅしゅをだっこしてあげて。」
あっちゃんをおんぶして買い物袋を二つ提げた母は、しゅしゅをだっこして、えっちらおっちら帰途についた。
一抹の切なさと、大量の重荷で心身を痛めつつ。