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馬伝染性貧血~CIA極秘文書~

私が追跡している、1940~50年代にソビエト科学界に流星の如く登場したG.M.ボシャン(1908-1997)、彼のキャリアは馬伝染性貧血 equine infectious anemia…馬に貧血症状を起こす虫媒介レトロウイルス感染症…の診断技術への批判に始まる。

↓の記事で、彼の言う「ウイルス」が細菌の細胞壁欠損型の可能性を疑いつつも、一方でこの着想が現代のウイルス疾患である馬伝染性貧血にあることが奇妙だとも言った。

馬伝染性貧血ウイルスは免疫系感染ウイルスであり、曰く付きの1972年WHOメモにも登場する。本稿はその馬伝染性貧血の調査について、例の如くCIA文書を発掘したので、WHOメモを参照しつつ翻訳する。対象文献とリンクは以下の通り。

Bosh’yan, Gevork Mnatsakanovic. “EQUINE INFECTIOUS ANEMIA.” Monthly periodical. Moscow: CIA, August 16, 1950. CIA-RDP80-00809A000600330775-5. https://www.cia.gov/readingroom/document/cia-rdp80-00809a000600330775-5.


馬伝染性貧血の原因を罹患馬の血液や臓器に存在する濾過性ウイルスのみに帰する仮定が本病の原因因子に関する研究の障壁となっており、それは「濾過性ウイルスから微生物へ、微生物から濾過性ウイルスへ」の変換問題に対する反進化論的形而上学的アプローチが原因である。従来までの馬伝染性貧血への対抗措置は、
1)本病の高い伝染性
2)罹患馬は原則として完治せず、従って駆除せねばならない
3)感染歴のある馬は一生涯ウイルスの保菌者であり、未感染馬から隔離せねばならない
…という理論に基づいていた。
これらの対抗措置は全く以て無効だと証明された。加えて、診断方法(バイオテスト)が非常に複雑かつ不確実であった。具体的な治療手段もなかった。

本病は(※1950年当時目線で)約110年前から認知されている。USSR ソビエト連邦で初めて本病の存在が確認されたのは1932年である。

我々が開発した方法により、本病の濾過性原因因子から顕微鏡で視認可能な微生物を人工栄養培地で増殖させた。この濾過性原因因子がウイルスであることを否定するものではない。この微生物の発生の基本段階を調査し、明確に確立した。また、この微生物が本病の原因因子の濾過性形態と同一だと証明された

更に、原因因子の微生物形態および濾過性形態の両方で結晶化に成功した。結晶形態は、生きている状態の機能を維持しつつも、物理化学的影響や加熱影響に対する極めて高い耐性がある。また逆に、結晶形態から濾過性形態や微生物形態への変換にも成功した

この相互変換の発見により、自然界における本病の原因因子の分布が確立され、馬以外の動物もまたウイルスを保有可能だと判明し、より簡便な診断法および治療法の開発が可能となった。

1939年に研究を開始し、1940年から41年にわたって純粋化した濾過性ウイルス形態から非濾過性形態への変換を証明し、同時に、純粋化ウイルスが顕微鏡では小さな球状粒の外観を持つことが立証された。また、罹患馬の赤血球破壊が二次的現象だと判明した

ウイルスは先ず有核細胞(白血球および細網内皮細胞)を破壊する。特に細網内皮系の細胞でのウイルス増殖期間中、ウイルスとの激しい闘争の過程で白血球が破壊される。体内でのウイルスの増殖は赤血球を犠牲にして生じるのではなく、有核細胞の代謝産物…即ち核複蛋白質 nucleoproteidsを利用して発生する

罹患馬の赤血球数の減少は造血機能障害の結果であり、ウイルスの核複蛋白質ならびに罹患馬の細胞核それぞれの分解産物が造血器官に及ぼす毒性作用に起因する。

(訳注1)WHOメモにも、馬伝染性貧血ウイルス(EIAV)は免疫感染ウイルスであり、この疾患は抗原抗体反応の産物=免疫複合体による血清病が本態だとある。従って馬伝染性「貧血」という命名から連想される「貧血の伝染」ではなく、「血清病の伝染」が本病の本質であり、貧血症状はその内、免疫複合体が腎糸球体に沈着したことを原因とする二次的な腎性貧血である。換言すれば、EIAVに感染しながら貧血以外の症状、例えば血管炎を発症させる個体もいることを意味する。

(訳注2)核複蛋白質…現在の用語で「リボ核タンパク質複合体(Ribonucleoprotein Complex: RNC)」。核小体を構成する顆粒物質。アントワーヌ・ベシャンが「微小発酵体分子顆粒 microzymian molecular granulation」と呼んだもの、そしてDNAの旧称「ヌクレイン」と同一物質と思われる。

1940年、我々は馬伝染性貧血の診断法に関する、文字通り「複雑な complex」代案を提案した(Veterinariya, No 10, 1940, p.19)。これは、罹患馬の血清にフクシン-亜硫酸塩 fuchsin sulfite試薬や、トリプトファン含有試薬を加えると、有核細胞由来の核複蛋白質の存在が明らかになる事実に基づく呈色反応による診断法である。この呈色反応の適用により、本病が旧診断法に基づく想定以上に遥かに広範囲に及ぶことを示す大規模な資料の収集が可能となった。

1947年から1949年にわたり、本病の原因因子の微生物形態の分離により、この感染が馬の間で広範囲に発生していることも証明した。400頭の馬の血液を調査し、その50%以上が完全に健康であったが、全頭から微生物形態が分離可能だと証明した。健康個体から分離された微生物の病原性は、仔馬を対象としたバイオテストにより確認された。バイオテスト(20件)は全例で陽性反応となった。更に、健康個体で交差試験に着手し、陽性反応ならびに致死的な転帰をも確認した

健康な馬にウイルスの存在を確認した他、角牛、羊、豚、兎、鶏、犬からも原因因子を分離し、文字通りに仔馬に感染させるバイオテストにより、全株で病原性を確認した

ウイルスの媒介のみで発病するわけではなく、感染後の動物を不健全 unfavorableな環境に晒さなければならない。我々の他にCorades Rozhkov、Kartavtsev、Stapanov、らの実験により、適切な飼育の下では本病は発生せず、ウイルスに汚染された牧場で発病した動物も治癒されると証明された。この実験は多くの馬で実施された。

我々は、純粋化ウイルスおよび微生物形態の両方から、等しく有効で特異的なアレルゲン…アネミン aneminを調製した。罹患馬にアネミンで検査した所、98%の症例でアレルギー反応が陽性であった。このアレルゲンで健康な1,000頭の馬を対象に検査した所、陽性反応を示したのは僅か4頭(0.4%)であった。本病流行地域で検査を実施した所、全馬(罹患馬・健康馬共に)の70~80%がアレルギー陽性反応を示した。罹患場ならびにアレルギー陽性反応の馬を60頭以上殺処分し、病理解剖検査と組織学検査を実施した。アレルギー反応の兆候と完全に一致する結果が得られた。バイオテストでもアレルギー反応の結果が確認された。

(訳注)この記述が真実ならば、当時のソビエトは完全に生体のアレルギー反応をコントロールしていることになる

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