Chapter3. 血管内外のフィブリンの状態③(了)
↓の続き
飽和硫酸ソーダ液で希釈した血液の実験
血液と、その数倍体積量の飽和硫酸ソーダ液を混合しても凝血塊は得られず、血球は赤色素を排出せずに混合液中に沈殿することが知られている。何故この条件では凝血塊は形成されないのか?以降、この現象の説明を試みる。実験は冬季の氷点下が望ましい。
羊の血液を、その4倍体積量の飽和硫酸ソーダ液に頸静脈から直接流入させ、混合液を安静放置する。24時間後に血球の大部分が沈殿する。透明な上清液をバライタ硫酸塩で裏打ちしたフィルターで濾過すると、懸濁液に浮遊する血球と微小発酵体が集積される。濾過は必然的に緩慢である。濾過後には殆ど無色で完全な透明の溶液が得られる。過酸化水素水と混合すると、緩慢ながら酸素を放出させる。
濾過中(約20時間)は一貫して透明であった溶液を攪拌すると、鮮明な白色の小さなフィブリン様の塊となり、ホイッピング分離されたフィブリンの如き膜状の外観を呈す。この塊を分離した溶液は、再度バライタ硫酸塩のフィルターで濾過して尚、過酸化水素水から酸素を放出させる。
血液と硫酸ソーダの混合液の濾過物から分離されたフィブリン様の膜性物質、即ち微小発酵体が内在しないフィブリンは過酸化水素から酸素を放出させぬまま溶解する。
この膜性物質を過酸化水素水8㏄(含有酸素量が6体積分の48㏄)の中に約1㏄投入した所、6日間の接触でも酸素の放出はなく、そのまま溶解して消失した。ミロン試薬で白色沈殿物が生じた後に加熱で赤変した点から、溶液はアルブミノイドであった。
この膜性物質から分離された透明な溶液に酢酸を慎重に加えると僅かにアルブミノイドの沈殿物が生じた(この沈殿物はこれ以上の検査をしていない)。だが沈殿物から分離された溶液にはアルコールで沈殿する可溶性アルブミノイド物質があり、酢酸溶液での旋光度は(a)j=-86°であった。これは血清アルブミンとは全く異なる値である。
この実験から以下の結論が得られる。微小発酵体分子顆粒は血球と同様に血液に不溶であり、血液には自身の解剖学的完全性に必要な条件が統合的に存在する為である。だが、硫酸ソーダ溶液で血液を希釈すると、血球は不溶のままだが、微小発酵体を包膜する軟性の雰囲気を構成するアルブミノイド物質は、疑いなく何等かの変質を受けた後、少なくとも部分的に新たな培地に溶解する。ここで攪拌すると、部分的にフィブリン膜様の外観を持つ不溶性の塊(膜性物質)が分離し、残りの部分は溶解状態のまま分離が可能であり、これは血清アルブミンより大きな旋光度を示す。何等かの変質がある事実はこの点からも明白である。前者の不溶性物質は酸素を放出せぬまま過酸化水素水に溶解する。そしてこの物質を分離する前後に濾した透明な溶液が、過酸化水素水から僅かながら酸素を放出するならば、それは酸素放出に作用する微小発酵体由来の物質の一部がこの溶液に分散している為である。斯くして直接的実験により証明された。フィブリンの過酸化水素分解能は微小発酵体に由来し、微小発酵体架橋質や包膜用のアルブミノイド物質ではない。これは第一章で立証された事実の裏付けとなる。硫酸ソーダで処理した脱線維素血液からフィブリン様物質が生成されないことは言及するまでもない。
以上が事実である。だが当初のエストールと私が微小発酵体と判断した分子顆粒は過去に既に認識されたことはないのか?この問題について、私が収集できた唯一の情報が以下の通りである。
フレイ氏曰く
更に以下の付言をしている。
そしてこれら分子顆粒は血液以外の体液や動物組織にも観察され、その役割に多くの見解が表明されてきたが、その正体も組織化の有無も不明であった。
だがアルコール混合血液の解剖学的分析により血液中の分子顆粒の存在が確実となった今、残るはJ.ミュラーの如き観察者が何故これを観測できず、顕微的には血球を除く全成分が完全なる溶液状態と判断されるに至ったかの説明である。この理解には、血液性微小発酵体分子顆粒の解剖学的・物理的構造を考慮すれば事足りる。微小発酵体(直径は最大で0.0005mm)は粘性かつヒアリン性の軟性物質の雰囲気に包膜されている。だが血液中でこの粘性雰囲気が大いに膨張すると、周囲の溶液と屈折率が等しくなる可能性があり、従って中心に居座る極小の微小発酵体が顕微鏡の目を免れようと驚きはない。事実、包膜用の雰囲気の成分たるアルブミノイド物質は、血管外で同素体変換によりフィブリンに備わる特質を獲得した場合にのみ可視化される。
この解釈の真実性を確証するには完璧な透明性を誇るクリスタリンを考察すれば十分である。解剖学的にクリスタリンはクリスタリンチューブによる二層構造である。更に他の解剖学元素と同様に微小発酵体が集合している。この全てを顕微鏡で直接明示できない所以は、器官全体の全部位が均等な屈折率を持つ為である。だが研磨によりこの有機的構造を破壊するや、器官における解剖学元素の存在条件が変化し、微小発酵体やクリスタリンチューブが可視化される。
総括
本章で紹介した事実により、血液には、血球に並んで不可欠な第三の解剖学元素が常在し、これは血液培地に不溶の特殊なアルブミノイド物質の雰囲気に包膜された微小発酵体で構成される。この解剖学元素は従来まで認知されていなかったが、その解剖学的組成、その局在、その特質に因み、私は「血液性微小発酵体分子顆粒」と命名した。
そして今、全血の脱線維素化による差し引き分である分子顆粒の重量が、同じ体積の全血のホイッピング法で分離されるフィブリン重量に近似する点を考慮すると、古典的フィブリンが凝集・接着した血液性微小発酵体分子顆粒に他ならぬことが明白となる。この顆粒成分のアルブミノイド雰囲気は、本来は極希薄塩酸に即座に溶解性である所、血管外での同素体変換により、時間と温度の関数の関係でのみ溶解性となる。
では血液性微小発酵体分子顆粒の解剖学的構造、並びに包膜用のアルブミノイド雰囲気の特質が、血液の自然凝固ならびにホイッピングによるフィブリン形成という機械的現象を同時に説明する所以を説明する。一先ず、前述の実証実験により、血漿仮説は打破され、そしてヒューソン、ミルン・エドワード、J.B. デュマらの構想~フィブリンの血液中における微細分裂状態での予存~が検証され、完成に至ったのだと言おう。