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英国散歩 第21週|世界で最初の田園都市・レッチワースの今【農村編】

都市のように活気があり、農村のように自然豊かな生活ができる、都市と農村が融合した理想的な状態=「都市と農村の結婚」を目指した田園都市(Garden City)
そのハワードの構想が世界で初めて具現化を見たのが、ロンドン郊外のレッチワースでした。

前回の【都市編】では、駅付近の商業エリアを中心に雇用も娯楽も揃った、単なるベッドタウンではない自立都市(を目指した)、レッチワースの風景をお伝えしました。

今回の【農村編】では、住宅エリア、公園、自然エリアの風景から、心穏やかな暮らしの基盤が整えられたレッチワースの今をお伝えできればと思います。



レッチワースの「農村」的魅力

19世紀末、産業革命を経たロンドンは、工業化、都市化のメリットを享受する一方で、空気は煤(すす)で汚れ、テムズ川の水は濁り、上下水道が未発達のために感染症がまん延。地代を含めた生活コストは高騰し、農村からの移住者の多さから失業者があふれ、スラムが発生するという、あまりにも悲惨な状態でした。
それまで農場だった仕事場が工場に変わり、太陽ではなく時計の針を見て生活するようになったロンドンの労働者階級の人々は、工場での長時間労働の後、遠く離れた狭く見すぼらしい家に戻り、明くる日もまた工場へ出かけて行くという生活。魅力的に見えた都市の高賃金は高い生活コストに消え、決してゆとりある生活ではなかったようです。

ハワードは、そんな家計面でも衛生面でも精神衛生面でも苦しい都市部の生活環境を見て、誰もが健康で心穏やかに暮らせる場所を田園都市に実現しようとしました。


住環境

レッチワースの特徴の1つが、前回も述べたような「職住近接」。
まちには工場(今はオフィス)が誘致され、長距離通勤をせずとも家の近くで働ける環境が(十分ではなかったとの指摘もありますが)整えられました。

住宅の土地が「賃貸」で提供されたことも特徴的です。
都市部に劣らない賃金水準で、農村のように廉価で穏やか住環境を多くの人に提供するというのがハワードの計画であり、また、土地は個人ではなくコミュニティに属するべきというのがハワードの思想でした。
レッチワース開発に際し「第一田園都市開発会社(First Garden City Ltd)」が設立され、この会社が土地を所有したまま労働者階級の人々が手が届くような廉価な価格で住宅用地を提供しました。そして、その不動産収入から都市開発資金と利息を差し引いた残りは、レッチワースのコミュニティに還元されるという仕組みでした。

開発から100年以上が経過した現在も、その組織形態などは変化しているものの、当初のコンセプトは生き続けています。家の前の生け垣の手入れや建物外観などに関するルールも定められており、まちを歩いても住民全員でレッチワースのまちを保全していこうと取り組まれている様子が感じ取れます。


まちの中心軸、ブロードウェイ沿いの住宅。生垣の角がきちんと立ち丁寧に手入れされているのが分かります
建物外観は素材も含めて基本的には変更できないルールで、窓の形など様々な部位についてもデザインルールが定められています
道路との間にあまり余裕がない住宅でも、ちょっとした芝生の前庭が整備されています
Neighborhood Watch Areaの標識
どの住宅エリアを歩いても整った建物群が見られるレッチワースですが、1つ欠点を挙げるとしたら、開発当初はまだ自家用車が想定されていなかったこと
住宅前の細い道路は路上駐車でさらに細くなります。ただレッチワースに限らず、古い住宅が今も現役のイギリスでは各戸に駐車スペースがなく、路駐は当たり前だったりします
中心から少し離れた住宅エリアでは道路幅、住宅敷地に少し余裕があり、路上駐車せずに済んでいるところもありました
世界初の田園都市として名高く、様々なルールで整えられた良質な住環境が確保されたレッチワースは、今でも人気が高く(その分地価も高く)、高級車なども見かけます
こちらの家の脇にはボートも。レッチワースは内陸部なので海は遠く、川もすぐ近くにはなかったように思いますが…


開発から100年以上が経過したレッチワースですが、デザインルールによりその建物、そして住環境は今でも良質なまま保たれていました。
一方、開発当初は労働者階級向けに豊かな住環境を廉価に提供するというコンセプトではあったものの、当時も特にそれに共感した富裕層が惹きつけられて移住したとの指摘もされ、現在もまちを歩く限りその側面が垣間見られました。


自然環境

ハワードは、農村を離れ自然から隔絶された大都市ロンドンでの人々の生活を目の当たりにし、著書の中で人々は「母なる大地」に戻るべきだと主張しています。
レッチワースでは、まちの中心部からすぐにNorton Commonという自然保護区兼公園が配置され、人々と野生生物のための自然豊かな環境が確保されているほか、商業エリアや住宅エリアからほど近い公園、庭園など、豊富な緑、オープンスペースが整備されています。


自然保護区・公園のNorton Common
場所は、駅からは商業エリアと逆の、北側へ徒歩5分ほど。広さは63エーカー(約25ha)と広大です
手つかずの自然もあり、場所によっては森林のよう(今は枯れ木で殺風景ですが夏には青々としているはずです)
ベビーカーでお散歩をする方々もちらほら
先が見えないくらいまっすぐ続く一本道。のどかな田園風景を彷彿とさせます。一方、両脇の芝生はきれいに刈られていて、きちんと人の手が入っていることも感じます。まさに都市と農村の中間的なオープンスペースですね
Norton Commonの一角にはテニスコートなどのスポーツコートが集まっています
イギリス発祥のスポーツ「Lawn Bowls」のコートも。Lawn(芝生)の上でBowl(ボウル)を投げて目標球のそばに近づけてスコアを競うもので、ボーリングの前身とのこと
キッズ用のプレイエリアもあります


こちらは、商業エリア近くの「Howard Park and Gardens」。レッチワース開発当初からある公園とガーデン。Norton Common同様、自然保護エリアもあり野生の花などもあるとのこと
こちらにもキッズのプレイエリア。これらの遊具は小さめ・シンプルで小さい子向けです
隣には少し大きめの子供たち用のアスレチックなども。平日午後、学校帰りの時間帯なのか、いろんな年代の子供たちがこの公園でそれぞれ楽しそうに遊んでいました
こちらはお隣のガーデン。1935年までこちらにはアウトドアプールが設置され、あまりの人気に、前回紹介のコルセット工場が従業員のために週に1.5時間確保させてくれと依頼したそう。プールは今はNorton Commonに移っています


レッチワースは一から計画的につくり出されたまちでありながらも、農村のように自然に囲まれた心豊かな生活を送れるよう、中心部に野生生物にも配慮した自然環境が確保されています。そして、それが賑わいあふれる商業エリアからすぐ徒歩数分のところに位置しているのも、すべてが揃う自立型の田園都市レッチワースの魅力だと感じました。


100年以上前に、社会を良くしたいと考え行動をおこし、その後の世界の都市計画に大きな影響を与えることになったハワード。
彼の思想はこのレッチワースのまちに凝縮され、今もその意志を継いだ非営利的な組織がまちを運営しており、社会が大きく変わった今もなお世界中の多くの人をここに惹きつけています。

ハワードパークの横にはThe International Garden Cities Instituteのミュージアムも。コロナ禍以降はしばらく施設閉鎖を余儀なくされているようで、この日も休館でした
こちらはMrs.ハワードの名のついたホール。レッチワースで最初の公共施設で、Grade Ⅱの指定建造物です
「1903年にエベネザー・ハワードがこのまちを創設した」と書かれた記念碑。若干の汚れ、落書きがあるものの、開発から100年たった今もハワードパークの中心的な広場に据えられています
田園都市の職住近接を実現するために誘致したコルセット工場、スピレラビル。今もその噴水広場にはハワード像が立っています



以上で、3回にわたった田園都市レッチワース回は終わりにします。
本来はもう少し数字的な部分も抑える予定でしたが、それはまた今度に回したいと思います。



References

エベネザー・ハワード:著、翻訳:山形浩生、"明日の田園都市”(2010 年 4 月 11 日)
Letchworth Garden City Heritage Foundation, Scheme of Management
Letchworth Garden City Heritage Foundation, DESIGN PRINCIPLES, Heritage Character Area in Letchworth Garden City
齊木崇人, レッチワース100年の経験から生まれた新田園都市の思想


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