近世大名は城下を迷路化なんてしなかった(25) 第5章 5.4.5. 都市が方格設計を求めた真の理由
### 5.4.5. 幅広な大路こそ防衛のための街路
■ 結論は再確認される事実――都市戦とは放火である
いよいよ、謎解きとまいりましょう。
手戻りになりますが、事実の解明のためには話をいったんヨーロッパに戻します。
そもそも、中国と同じく温帯が多く、北方騎馬民族の影響下にあったヨーロッパの城郭都市が中国同様の巨大・北闕(ほっけつ)・正方位・中心軸プランでないのはなぜなのでしょうか? 逆に言えば、なぜ中国の都城はヨーロッパのように石造り・コンパクト・非正方位にならなかったのでしょう?
これを解決しなくては、どうにもならんのです。
そして、この問題を解決してこそ、中国文化圏の都市が北闕型を志向した理由、政庁前大路が幅広である理由も、解が出るのです。
(1) ヨーロッパはなぜ、石造りの都市になったのか?
あらためて、これを考えましょう。中国だってレンガは多用しましたが、ヨーロッパのように石造りの4~5階建て集合住宅がひしめきあうような都市にはなりませんでした。日本にいたってはレンガが普及せず、平屋の木造住宅ばかりの都市になりました。
ヨーロッパが防火のためにそうなったと考えるのは簡単ですが、ではなぜ、中国や日本は防火のために石造りを徹底しなかったのでしょう?
もしくは東ユーラシアが石造りでなくてもやっていけたのだとすれば、なぜヨーロッパは加工の容易な木造建築を捨てて石造りを選んだのでしょう?
レンガ建築が地震に弱く、木造建築が地震に強いからといって、地震に解を求めるのは無理があります。ローマのあったイタリアは比較的、地震の多い地域なのですから。また、中国は国土が広いため、地震が多い地域も少ない地域も存在します。
筆者は当初、地中海沿岸地域は乾燥帯に近く、太くて長い木材が育ちにくいために石造りが普及したのだろうと予想しました。
しかし、この推測は誤っていました。
アルプスなど針葉樹林地帯まで、そこまで遠いわけではないからです。
文明初期には重い銅鉱石を流通するネットワークが生まれたほどのヨーロッパです。荷車とそれを引く家畜が普及したあとなら、木材を流通させるのは、それほど困難ではありません。
ここで筆者は、ヨーロッパの都市の問題として風対策が重要であったことを思い出しました。
この問題に着目したときは
「ウィトルウィウスやアルベルティが悪風をやたら問題視してるし、そういうこともあるかもね」
くらいの気持ちでした。
しかし、これこそがヨーロッパが石造りを選んだ理由だったとしたら、どうでしょう?
藁葺や木造ではダメ、石造りでないと風に立ち向かえない……と言えば、誰しも思い浮かべる童話があるでしょう。そう、『三匹の子豚』です。
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