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久しぶりに里帰り。帰省って文化的な活動かもと思ってみたりした。
新潟へ帰省した。
大阪から車での里帰り。
朝8時過ぎに出発して、道中サービスエリアで昼食をして、実家に着いたのは午後6時前。
ほぼ1日仕事なんだよね。我が家の大きな年中行事の一つ。
高速で流れていく周りの景色、自然の姿などを見ていくと段々と頭の中がゆーーっくりと遡っていく妙な感覚になる。
なんだかタイムトンネルみたいな感じがして、ちょっと不思議な、ちょっと切ない感じになるんだな。。。
およそ10時間もかけてのタイムトンネルって、凄く効率悪いような気もするけど、自分の中の心の整理をしながら、ちょうど良いのかも。
あっという間に昔のようには頭も心もなれないし。自分の中で異邦人みたいになるのイヤだしね。
周りを流れる様子は、大阪を出てすぐの景色が、だんだん新潟に近づくにつれ、様変わりする。
ほぼずっと、同じくらいの速度で走っているのに、大阪の辺りはけっこう早い速度で周りの建物や対向車線を走る車の数々、自然の山などもビュンビュン流れ去る。
名神高速道路を過ぎて、北陸自動車道に入って進む600km超の道のり。
名神では間近にあった山々も、北陸自動車道に入ると遠くに見える稜線へと移りゆく。
かわりに目の前に広がるのは海。
日本海。高速道路からはそんなに近くはないはずなんだけど、かつての下道で海水浴場や海釣りに出かけた時の記憶が心の中で距離を縮めてくれるのかな。
海は大きい。
北陸自動車道を北向きに向かうと、およそ視界の左側全部が海で、そちらを見やれば目線はどこにも留まらず、ずーっと、ずーっと視力の果てまで。ずっと海。
風がなく穏やか時なら、海面は微かにキラキラとしたさざ波と、それがない空との境い目を見出す所までずーっと、青い。
そんな大きな景色が広がるので、思ったより近くに感じているのかも。
海の近くに育ったんだなぁ、、と思う。
さらに、車線が広く道のりも真っ直ぐな北陸自動車道を進む。
水田、とは地元では言わなかったように思う。
「田んぼ」。
その方が身近で親しみもある。
目の前の景色は大海原から、一面水田の世界に変わる。
帰省する頃はいつも夏。
実家は新潟平野の一角。
先頃までの波と空の境い目だった水平線は家に近づくほど、稲穂の海と空の地平線変わる。
今度は視界の果てまで、田んぼ。
地平線まで見通す広い視界、果ては緑色のグラデーションの海にと変わる。
この田んぼのある世界が自分のふるさと。
一番懐かしく思い出すのはこの田んぼの世界。
ひいおばあちゃんも、おじいちゃん、おばあちゃん、親せきのおばちゃん、いとこ達、夏祭り。思い出はたいてい、田んぼの周りの世界。
刈った稲の積み上げられた土色の田んぼに、藁色の壁。
脱穀する匂いの中で遊んだ仲間たち。
歩く道々の田を焼く匂い。
田舎の子供時代は思い出すと五感にまつわるものもとても多い事に改めて気付く。
大家族の感覚、子供の遊びの感覚、食べ物の思い出も季節感と共に思い出すものがとても多いなと思う。
こんな感覚、きっと似た感覚をもって育った人も多いんじゃないかなと思ったりもする。
自分は新潟平野の田んぼの子だったけど、山の方に暮らす人にはきっと山の暮らしにまつわる感覚が。海の暮らしには海と自然が一体になった感覚が。きっとそれは身体を作る食べ物にも、心を作る情操にも繋がっているのだろう。
それが文化なのかな、なんて思う。
自分の中の無意識の底に横たわる日本の文化、そんなものを微かにでも思い出せる。のんびりと惚けたいだけの里帰りにも意外にも文化的なものもあったりするのかな、なんて自己正当化し過ぎだろうか(笑)
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