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2500年前に失敗している「くじ引き民主主義」
Noteのサムネイル画像をAIで作るのはOKかNGか……知らん。
「くじ引き民主主義」は、近年自称知識人のヨーロッパ人が言い出したやつらしいが失敗が確約されている。思考実験以前に実証例が存在する。
それでは「くじ引き民主主義」を2500年前に実際に行っていた国はどこか?
正解は、アテネを代表とする古代ギリシアのポリスだ。アテネでは、ほぼすべての公職がくじ引きで決められていた。
ところが貧乏人は公職をする暇がないし、遂行能力もないので実際の仕事をするのは時間と金がある金持ちが肩代わりすることになる。その結局、腐敗の温床になるというオチ。現代だと政治意識高い系および工作員の活動場所になる。実際にアテネがそうだった。そうでなくても法知識の不足により飛んでもないことをしでかす可能性が高い。
なお現代でもくじ引きで決まる公職がいくつかある。日本では検察審査員と裁判員の2つだ。ところが現実にこぞってこの仕事から逃げている。裁判員の辞退率が6割を超え、欠席率が7割を超えるのが常態なのだから公職など押しつけられても誰かに丸投げするオチしか存在しない。アメリカの陪審員制度に至っては裏で金が飛び交っているのは常識。中でも金で無罪を勝ち取ったと言われるO・J・シンプソン事件は有名だ。無罪を勝ち取るために弁護士が裁判に不利な陪審員の排除を積極的行ったとされる。
そのアテネで唯一民主主義が機能していたのはペリクレス時代のみ。そもそもペリクレス以前はペイシストラトスによる僭主政から貴族による寡頭制に移っただけだった。そして貴族の中の官職経験者が集まる議会をアレオパゴス(ローマの元老院に相当)と呼んでおり、そこが権限を持っていた。アテネの最高権力が民会に移ったのはペリクレス以降で、くじ引き民主政の導入自体もペリクレス以降。それでは、何の権限を持たないはずのペリクレスはどうやってアテネを運営していたのだろうか?
ペリクレス本人がくじ引きで決まるアテネの公職のなかで唯一選挙で選んでいた職を利用したのだ。その職は将軍職(ストラテゴス)、戦時にストラテゴスは実際に軍を率いて戦争を行う指揮官だ。当時のギリシアは年中戦争をしていた。そのためストラテゴスの数もたくさん必要で毎年10人を選任していた。
ストラテゴスだけがくじ引きで選ばなかった理由だが、おそらく無能が指揮官になると死ぬか奴隷の二択になるからだと思われる。自らの命を託す将軍をくじ引きで選ぶことはさすがに拒否したのだろう。
名目上ペリクレスはこの10人のうちの一人でしかなかった。ペリクレスは、毎年ストラテゴスに選ばれ権威を積み重ね、発言力、演説力と人脈で会議をコントロールしていたのだ。
ここにもう一つの問題が提示されている。くじ引きで選ばれた政治家に何の発言力も権限もない点だ。天地がひっくり返ろうと民会で選ばれるストラテゴスの発言力に全く勝てないのだ。選挙は権力の正統性に必須なのだ。
この手法は後の政治家にも引き継がれた。この段階でペリクレスが有能だからくじ引き民主主義が機能していた様にみえていただけということが判明してしまう。演説だけがうまい無能がストラテゴスに選ばれ議会をコントロールしたら一体どうなるだろうか?
それが衆愚政治の正体だ。アテネの民主政はペリクレスは有能だったから機能していただけであり、それより後の時代は、ほぼ機能不全だった。朝令暮改は当然だし、ペロポネソス戦争中のとき無意味なシチリア遠征(※)を行いボロ負けしたのがよい例だ。ペロポネソス戦争はアテネとスパルタの戦争なのだが、無関係なシチリア遠征するようなあほな決定を下したのがくじ引き民主主義の成果だ。遠征軍の指揮官もくじ引きで決めたのだろうか指揮系統もでたらめ。大体兵を率いた3人のストラテゴスが反目しているうえ、シチリア遠征を主導したアルキビアデスが解任される。ソクラテスが死刑になったのもこのあほなシチリア遠征を提案し、ペロポネソス戦争の敗戦の要因を作ったアルキビアデスがソクラテスの弟子だったからとされる。このシチリアの敗戦がくじ引き民主主義を崩壊させ、四百人政権に乗っ取られる。要するに綺麗事は武力と金に結局負けたのだ。その四百人政権も自滅し、三十人政権に取って代わった。この三十人政権も一年で自滅した。こうしてアテネは僭主がいないとだめな国の見本になった。
アテネ民主制はペリクレス時代だけ切り取って論じられるわけだが、その理由はそれ以外の時代は、まともに機能していなかったから。なお、没落以降のアテネの方が多少マシな民主政を運営していたようだ。政治意識高い系が粛正されたからだろうか?
※ 歴史用語ではシケリア遠征。そこを直すとアテネをアテナイと書かないといけないし、スパルタはラケダイモン(ラケダエモーンか)と書かないと行けない。
結局、ギリシア全体が機能不全に陥り事実上マケドニア王国の属国になって終焉を迎えた。それ以降は学級会系民主政が続くことになる。
結果的に近代民主制は、過去の民主制の失敗から調整されて作られているものなのだ。問題は、民主主義の機能不全をどのように回避するかという点にある。この問題が解決しないと国ごと消滅してしまうからだ。機能不全した例が定期的に蒸し返されるのもお約束。ところで緊急事態条項がない日本は有事にどうするのだろう?初手、アメリカに無条件降伏が最善手かも。憲法停止になるし。