戦前の漢字の「右」と「左」の正しい書き順
うんちくや雑学には嘘が多いのだが、右と左の書き順もそれ。
『小学校教授細目』と言う本があり、これは戦前の師範学校で使われて居た尋常小学校の授業指針になる。しかし同名の書籍が多数あり、参照した論文がどの『小学校教授細目』を引用したか良く分からない。
書き順の歴史の研究なるものがあって、結果を言うと、どの書き順も合理性を突き詰めた結果になっている。
「楷書筆順の規範形成に関する歴史的研究」(2015 松本)によれば、草書筆順、行書筆順、楷書筆順と言う分類があり、これらの書き順が全て違うのは明らかだ。アルファベットでもブロック体と筆記体の書き順は異なるのと同じだ。
楷書筆順は意味的合理性と機能性合理性に細分化される。意味的合理性からみれば右と左の書き順は違う方が合理的になり、機能性合理性から見れば学習コストが安い同じ書き順の方が合理的になる。しかし実際に書くときは書きやすい方が合理的になり、崩しやすい行書筆順に近い書き順の方が合理的にもなりうる。理由は「正しさ(字源)」「覚えやすさ」「書きやすさ」「整えやすさ」がトレードオフの関係にあるからである。
つまり合理的な書き順は以下の4種類が存在する事になる。
字源的筆順(正しさ)
結構系筆順(書きやすさ)
運筆系筆順(整えやすさ)
教育系筆順(覚えやすさ)
書き順は正しさではなくどの合理性を重要視するかで決められるのである。
本論文による明治40(1907)の「國定書キ方手本運筆順序」は以下の通りになる
戦前に教えていた右の書き順は今と異なる。川の書き方が真ん中から書くし、馬の書き順も違う、かなりの書き順が文部省の決めた書き順と異なる。ただし昭和期になると習字用書き順の右と左は今の書き順と同じになる。しかし、この時代には筆順が複数存在する文字が存在し、これが一つに統一された理由は戦後に文部省が1958年に無理矢理決めたからであり、その書き順が正しいからではない。正しい書き順の存在自体が、文科省の教育ファシズムにより生まれた危殆なのである。
ろくに調べずに、右と左の書き順は違う方が正しいとか言ってしまうのは、やはり歴史教科書に書いてるから正しいとか言ってしまう可哀想な頭脳の持ち主なのだろう。人間ではなく被甲目だから仕方無いのだろう。
崩し字(行草書)では右と左の書き順を変えた方が良いけど、楷書は別の話。字が汚いと言うのは本質的には崩して書いているからなので、文部省の楷書筆順より行書筆順を覚えた方が良い。文部省の楷書筆順は科学的ではなく政治的に決まったものだ。しかし世の中には政治的に決まったことを科学と抜かしてしまう被甲目が存在する。文部省の決めた書き順は4つの合理性を数量的にモデル化してから決めた訳ではない。それなら汚い字でも読みやすさと書きやすさを経験的に最適化した行書筆順で書くべきだろう。