インプロの視点ーSpontaneity①ー
こんにちは、ミテモの小林です。
この連載は、4月から入社予定の堀さんに、堀さんが愛してやまない「インプロ」について紹介をしてもらう記事になっています。
皆さんは「インプロ」をご存知でしょうか。インプロ、即興演劇を指す言葉ですが、堀さんはこのインプロを活用したワークショップの実践と研究を行っています。未だ私自身イメージのつかない、インプロ×人材育成の可能性について、まずは「インプロとは」という視点で紹介してもらいます。
前回までは「頑張らないこと」について、ワークを踏まえながら解説してもらいました。今回からは「Spontaneity」について。私たちが日々無意識に行っている思考の検閲作業について説明してもらいます。
堀さんのインプロについての愛があふれる記事をどうぞお楽しみください。
こんにちは。ミテモの堀です。
まずは前回までの議論を簡単に振り返ってみましょう。
・がんばろうとすると人はがんばれない(持っている力を存分に発揮することができない)
・それは、がんばろうとしている時にはたくさんの筋肉を使うためである
・すなわち、使う必要のない筋肉まで使うので”ぎこちなくなる”
・この現象は脳においても同様である
・脳ががんばっている時、検閲が起こる
・子どもに比べ、大人の方が検閲が強くかかるために表現が難しくなる
・検閲は、教育や社会生活によって長年にわたりおこなわれた訓練の賜物である
こんな感じで「がんばらないこと」について考えてきたわけですが、それにまつわるキース・ジョンストンの言葉もご紹介しておきます。
私たちが自分たちの中にある力を信じていない時に、私たちは頑張ろうとする。それぞれの脳は電気の束から宇宙をつくりあげている―脳は宇宙と同じではない―私たちは頭蓋骨の中にこの魔法のコンピューターを持っているのにも関わらず、絵を描けないとか、作曲できないとか、物語を書けないとか、即興できないと感じるならば、私たちは何かしらの禁止令に従っているに違いないのだ(Johnstone, K. Impro for Storytellers. Faber&Faber, 1999, p.65.)
「○○をしてはいけない」「△△した方がいいんじゃない(≒それはやめなさい)」「ダメだ」「才能がない」「君にはできない」といった禁止令に従うあまり、人は「自分には表現ができない」と思わされているとジョンストンは考えています。すなわち、表現できないのはその人の才能がどうだとかはあまり関係なくて、むしろ外的な力によって「表現できない」ように強制されていると考えるのです。
以上の議論を踏まえた上で、今回からはもう少し踏み込んでインプロが「コミュニケーション能力」や「創造性」や「独創性」についてどのように考えているのか、ご紹介していけたらなと思います。
人は生まれながらに創造的であり、コミュニケーション能力も持っている・・・!?
前回もお話したように、インプロでは「人は生まれながらに創造的であり、コミュニケーション能力もあり、即興で物語をつくったり、それを表現する力も持っている」という前提からスタートします。その証拠に、特に子どもは誰からも言われなくても勝手に自作の歌を歌うし、お気に入りの人形を主人公にして物語をつくり、友達とままごとやごっこ遊びをして即興で演技をします。子どもの頃はたしかに何かを表現することは容易であったようです。今回は人が生まれながらに持っているその力の存在の証明を試みようと思います。
先の引用の前半部分にあるように、ジョンストンは脳の働きを発揮することと、絵を描くこと・作曲すること・物語を書くこと・即興することに強いつながりを見出しています。では、その「脳の働き」とはどのようなものなのでしょうか?
ワーク
実験してみましょう。次の単語から連想ゲームをしてみてください。声に出さなくて大丈夫です。頭の中でやってみてください。たくさん出さなくて大丈夫です。1つや2つ、多くて3つくらい連想するくらいで大丈夫です。
リンゴ
もう1つくらいやってみましょう。
犬
ありがとうございます。何を連想されたかどうかは今はまったく関係ありません。重要なのは次の2点です。
連想する時に、”連想しよう”と思ってから連想していたでしょうか?
「リンゴ」や「犬」と聞いた瞬間にどんなリンゴ/犬をイメージしましたか?(赤い?青い?木になっている?いない?お皿に乗っている?テーブルに置かれている?もしくはリンゴの形をした図形?トイプードル?ゴールデンレトリバー?人?首輪はつけられている?いない?)
どんな連想をしたかにいい/悪いはありません。ここで強調したいのは、皆さんの連想はほとんど自動的にされているのではないかという点です。多くの人は「リンゴ」と聞いた瞬間に「甘い」「丸い」「ゴリラ」などの言葉/イメージが瞬時に出てきたのではないかと思います。
スポンタナエティーSpontaneityー
連想ゲームでなくとも、例えば家でドラマを見ている時に、「こいつが犯人に違いない」「この人はきっと後で死んでしまうだろう」「そっちに行っちゃダメだよぉ!」などなどお話の少し先を予想しながら見ていたりする時、その予想は”しよう”と思ってするのではなく、ドラマを見ていたら自然に行っているのではないでしょうか。
もしくは、向こう側から歩いてくる人物が知り合いに似ていると思った時、背丈・歩き方・体格・目元・服装などの情報を瞬時に処理をして、それが知り合いかどうかを判断します。そしてそれはほとんど自動的です。そしてそれが人違いだと分かった瞬間に「よく見たら背がでかすぎるし、一重じゃなくて二重だし、あんな派手な服を着ないじゃないか」といって情報を修正します。この処理も自動的に行われます。
このように、私たちの脳はこちらが頼んでもいないのに勝手に、自動的にあれやこれやと連想したりと、情報を処理しはじめます。この自動的な働きのことをインプロでは「スポンタナエティ-Spontaneity-」と呼びます。このスポンタナエティを引き出すことをインプロでは重要視しています。
次回からはこの「スポンタナエティ」について、もう少し詳しく考えていきましょう。
参考文献
Johnstone, K. Impro:Improvisation and the Theatre. Theatre Arts Books, 1979.
Johnstone, K. Impro for Storytellers:Theatresports and the Art of Making Things Happen. Faber&Faber, 1999.
高尾隆『インプロ教育―即興演劇は創造性を育てるか?』フィルムアート社,2006年