1日(1080時間)
(内容暗いです。書き殴り)
大学生最後の夏休みが終わった。日数にして45日の夏休みであったが、まるで長い長い1日が終わっただけのような感覚だ。
進路決定の重圧から解放された反動で、趣味におぼれた夏休みだった。ゲーム実況にドはまりし、FAという文化を知り、初めてデジタルイラストにも手を出し、絵をかくことの楽しさを思い出した。FAを巡回しては、その絵から伝わってくる感情のエネルギーに打たれ、妬みすら覚えた。しかし不思議なことに、この嫉妬は清々しいものであって、自分もこんな風にワクワクする絵をかきたい!と突き動かされた。ペンを握り、朝から晩まで画面と向き合った。
かけばかくほど、技術やセンスの不足、感覚の鈍さを思い知る。悔しい。
ありがたくも、今はインターネット上で様々な方が講座動画や解説動画をあげてくれているから、それを参考にしながら、実践し、を繰り返す。出来上がった絵に達成感はない。もっと良い絵がかきたい。誰かの心に届くような絵を。ああ、いいねがつかない、やっぱりこんな絵じゃだめだ。いや、他者評価が軸になったら潰れる、自分が楽しいと思える絵をかくんだ。とかなんとか考えながら。1日24時間じゃ足りない。世の中の時を止めて、気が済むまで絵をかいていたい。
実況動画を垂れ流しパソコンとにらめっこしながら不出来な絵をかいている私を見て、それが21歳の青春か、と家族は言った。
そうだよ、これが私の青春だ。これでいい。だって、すごく楽しい。
こんなドキドキはいつぶりだろうか。将来への不安に四六時中苛まれ、体も頭も動かず、毎日ひたすらに消えたいと願っていたのは、ついこの前までのことなのに。今でも消えたい気持ちははっきりと残っているが、格好の現実逃避先ができてしまったから、それに没頭している間は忘れられる。でも、その時間が終わったら、現実は何も変わらずそこにある。何も変わらずそこにある。何も前進せずに。どこまでも辛く見える現実がある。
こんなの何も意味ないのにとわかっているのに、楽しさに負け、溺れている。
モラトリアム、子ども大人、とか色々。年齢にそぐわない経験のなさと幼さを自覚しながらそれらを永遠に放置している。このままでは確実にだめだとわかっているのに、今は何も問題が起きていない''ように見えている''から、知らないふりを続けている。
崩壊はもう始まっているのだろうか。
恐怖や焦燥という、かつて私を突き動かしていた感情たちの声は、耳に届いてこない。ああなんでこんな風になってしまったんだろうな。客観的に見れば軽蔑にも値するようなゴミっぷりを放っている自分を見て、ヘラヘラとしている自分がいる。なぜヘラヘラしているんだ、そんな場合じゃないぞ、お前まずいぞと理性がぎゃいぎゃい言ってくるけれど。理性的になれない。理性じゃ動けない。
本当はやるべき勉強があって、卒業論文だって進捗最悪レベルなのに、なんとかなるでしょと思っている自分が怖い。さらに言うと、なんとかならなかったとしても、それはそれで何かしら、まあどうにかなるでしょ、とまで思っている自分が気持ち悪い。
真面目すぎとすら言われていた私がなぜこうなってしまったのか。なぜなんてもうどうでもいいから、どうにかしなきゃとはちょっと思ってるけど、行動を起こせないんだよな。起こさない、のか。
感情の鈍麻。楽しいことだけに反応する。他のは全部、私を動かすには足らない、ごくごく弱い刺激に成り下がってしまった。
原動力がない。強制力もない。
あーあ