白黒つけたい。だから、全部自分のせいにする。
曖昧なことが苦手だ。殊、人間関係においては。どっちかだけが悪いなんてことはないのは頭でわかってるし、自分の良くなかったことと、相手に対して嫌だと思ったことの区別もつく。
だけどやっぱり、心の中ではどう思ってるかは見えないから、相手が何も言ってくれなければ、曖昧なままだ。だから全部、自分のせいにしてしまおうとなって、自分がズタボロになるまで責めてしまう。
傷つけたくないからとかいうのは、結局自己保身だ。「嫌なやつになりたくない」、そういう意味だと思う。我ながらなんて意地の悪いことを言うんだと思うけど、つまるところそういうことでしょ?
こっちからしたら、今までさんざん傷ついてきたんだから、最後に何を言われようが変わらない。100個の傷が101個になったところで、もはや違いなんてわからない。
本心を伝えるというのは、とてもとてもエネルギーのいることだ。大して重要でない相手だったら、そんなエネルギーを使うのは無駄だ。のらりくらりかわして、相手が力つきるのを待って、フェードアウト。これが最適解。そうだろうさ。
私がどんなに本当のことを知りたいと思ったって、相手にその気がなければ、永遠にそれは叶わない。相手は何かの拍子に「そういえばあんなやつもいたな」と私のことを思い出すことはあったとしても、特段支障なく、日々を過ごすのである。方や私は、いつまでもいつまでも、見つかるわけのない答えについて考えて考えて考えて、自律神経をぶっ壊して、人前では何もないように振る舞って仕事をそつなくこなす。失敗しても、笑顔でリカバー。そして、だれにも知られないように、こっそり、泣きながらnoteを書く。
生きている意味なんてない。希望なんてない。幸せになりたい。何もない。誰もいない。人が怖い。自分を見せるのが怖い。どうせうまくいかない。だからもうひとりでいい。ひとりぼっち。ひとりぼっち。寂しい。死にたい。
でも、ずっと生きてる。辛いがデフォルトになってしまっているから、それでも生きられてしまうから。死にたいと思いながら生きるのが、当たり前になってる。
明日も私はちゃんと6時に起きて、朝の支度をして、電車に乗る。