みほさんへ(オーダーメイド夢小説企画)

 腕時計の長針が、予定時刻から四分の三周ほど進んだところで、会計を済ませてカフェを出た。
 待ち合わせ場所に勿論彼の姿はなく、連絡も来ていない。そもそも、待ち合わせ時刻ぴったりにカフェに入るあたり、こちらももう慣れたものなのだ。こうなることは最初から分かっていた。
 やれやれといった面持ちで、ズラリと並ぶ過去の通話履歴をタップして電話をかける。二度は不在着信表記となり、三度目の五コール目で、やっと彼のくぐもった声が聞こえた。

『……ンン…、何…?』
「ミッキー?」
『…ゔん…ボクだよ、どうしたの…』
「ミッキー、時計を見て」
『ン〜…時計…?』

 ガサゴソと音が聞こえると同時に、スマートフォンをできるだけ耳から遠ざける。次に聞こえる声が予測できたからだ。

『ワァーーッ!!』

 最初の頃は、ホラー映画でジャンプスケアをくらってしまった時のようにびくりとしていたなぁ、なんて思いながら、今日のために新調したスカートの裾を見つめる。

『今すぐに準備するよ!』
「映画には間に合わないと思うけど…」
『えっと…それじゃあ、ボクの家にしよう! 君の家まで迎えに行くから!』
「そうなると思って、もう家に向かって歩いてるよ」
『す、すぐに着替えるから待ってて…!』

 通話終了ボタンを押し、帰路へとつきながら考え事をする。
 ミッキーは、自他共に認めるショービジネスの天才だ。逆に言えば、ショービジネス以外はからっきしなのだ。恋人になってみて初めて分かったことは、たくさんある。
 時間にだらしないこと。家の中が散らかっていること。洗濯物が溜まりがちなこと。寝起きが悪いこと。愛犬を愛しつつも、当たりが強い時もあること。などなど。
 驚きはしたが、不思議と幻滅はしなかった。それを補って余るほど、ミッキーマウスという存在はショービジネスという才能で構成されている。
 おざなりな生活は、俳優業に全てを注いだ反動だ。見ていればわかる。ショー企画を考えたり台本を読み込んでいる時のミッキーはエンターテインメントに取り憑かれているようだった。
 そんな彼を支えたいと思った。彼がステージの上で輝けるのなら、なんだっていい。私は、輝く星のような彼が大好きなのだから。

 家について一時間ほど経った頃。玄関のチャイムが鳴った。扉の前には、きっと困ったような、焦ったような顔をしたミッキーが立っているのだろう。
 別に怒っているわけではなかったが、少し悪戯をしてやろうと思って、仏頂面を作って扉を開けてみた。案の定、私の顔を見たミッキーが目を白黒として身体を縮ませる。

「何か言うことはございますか」
「その…ハハ…、ごめんなさい、…だよね…?」

 ミッキーは、極端に下げた眉をして、口角だけをニッと上げた。その手には、背中に隠して何かを持っている。怒ってないよ、とネタバラシをしようと私が口を開くその前に、ミッキーは私の手を取った。
 そして、後ろ手に回していたもう片方の手で握っていたものを私に手渡す。それは、モノトーンの色調でまとめられた花束だった。

「えっ…これって」
「ねぇ、目を閉じて」

 すっかりミッキーのペースに乗せられてしまった私は、言われた通りに目を閉じる。だって、目を開けた時に何が見えるか分かってしまったから。本当にそれが見えるか、確かめたかったから。

「開けてもいいよ」

 恐る恐る瞼を開けると、

「……?」

 花は白黒のままだった。てっきり、目を開けたらカラフルになっているものだと思っていたんだけど。なんとも言えない表情を浮かべているであろう私を見たミッキーは、わざとらしく何かを思いついたような顔をする。
 そして、目を閉じると、黙って私の方に頬を差し出した。その意図を理解し、『やられた』と心の底から思った。
 おずおずと彼の頬に唇を寄せる。ちゅ、と音が鳴った途端、私の手の中にある花束が鮮やかな色合いにパッと変わった。その瞬間、ギュッと抱きしめられる。

「たくさん待たせてごめんね。」

 悔しいけど、彼には勝てない。どんなにだらしなくても、ミッキーマウスはいつだってキラキラと輝いていて、私の、そして何よりも、世界の恋人なのだ。

おしまい

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