御子は時津風を背に何を得る?(オリオン)


「オリオン、私の可愛い子よ。…どうか、どうか無事でいて…」

一日中暗闇に覆われていたその日。
星屑の微かな光だけが静かに照らす夜更け、城の裏口で、女は腕の中の赤子を抱きしめた。
赤子は己の運命も知らず、曇りなき笑顔で母に向かって小さな手を伸ばす。
母は、彼の名が記された水浅葱色の柔らかい布に包まれる我が子をそっと従者の腕に抱かせると、首飾りを外し、伸ばされたその短い腕へと巻きつけた。

(金に困った時、せめてもの助けになればいい。)

生き延びたとして、自らを守る術もない子どもである。
道すがら奪われてしまうかもしれないことは分かっていたが、無意味だと思いつつも贖罪せずにはいられなかった。

ただ幸運に恵まれることを祈り、冷たい風が吹き抜ける中、母は遠ざかる息子を見送った。

「ミラよ…せめてこの子の命だけはお守りください」

++++++++++++++++++

続いていく足跡を、浅い波が消していく。

ぱしゃ、ぱしゃ、と水を跳ねながら波打ち際を歩く少年は、麻袋を片手に口笛を吹いている。
成年と形容するには幼く、子どもと形容するには発育している、という年頃だろうか。

嵐に見舞われ流れ着いたこの土地で、少年は数年もの間気ままに暮らしていた。
特に目的もなかったが、石を運ばされ鞭で痛めつけられる日々を送っていた彼にとって、穏やかな風に頬を撫でられるこの生活は不満ではなかった。

「今日はどうすっかなぁ〜」

汚れた服に似つかわしくない豪奢な装飾品が首元で揺れる。
親も家もない彼が持っていたものは、オリオンという名前と、この首飾りだけである。
この二つは大切にしよう。
なんとなくそんな思いを抱いていた彼は、この首飾りだけは誰にも渡そうとしなかった。
そして首飾りは、捨て置かれたその時から、例え嵐で流されてもなお彼の元を離れることはなかった。

「ま、でもこの国にもだいぶ飽きたなぁ」

そろそろ違う土地に旅でもしてみるか、と思い立ったところで、突然吹いた南風が彼の顔に一枚の紙を貼り付けた。

「へぶっ」

「なんだ…?……武術大会…?」

顔に貼りついた紙を剥がすとその紙には、近日国主催で行われる武術大会についての詳細が以下のように記されていた。

トーナメント制である。
決勝は闘技場で行われ、国王や貴族が鑑賞する中戦うことになる。
相手が棄権するか死ねば勝利となる。
この武術大会で優勝した者は王国直属の軍に入隊することができる。

つまり、優勝すれば出世を約束されるということである。

「へぇ、武術大会…オリオン流弓術の真髄を見せつける時がきたってことだな!」

少年は紙を粗雑に袋に突っ込むと、矢筒を背負い直し、闘技場のある都市の方角へと歩き出した。

++++++++++++++++++

齢が幼くエントリーが滞ったものの、なんとか出場が許されてからは順調だった。
決勝以前の試合は街の小さな闘技場で行われ、オリオンはお手製の弓矢で次々と相手を負かしていった。

その間、彼が相手を殺そうとすることはなかった。
弓術において天性の才能を持つ彼は、殺さずとも相手が降伏する方法が分かる。

それは決勝の相手に対しても同様であった。

広い国営闘技場の中央に立つオリオンは、向かい合う大柄の男に見下ろされてもなお呑気な表情だ。
登場した異例の幼い出場者に、観客もどよめく。

「おいおいガキかよ、拍子抜けだぜ…今までの奴らは何してたんだ…。ボウズ、悪いことは言わねぇ、棄権して帰んな」

「あ〜おっちゃんほんとごめんな…絶対殺さないからさ!」

「悪ぃが俺はガキ相手でも容赦しねぇからな」

試合開始の音と共に、大柄の男は持っていた長い剣を振りかざした。
オリオンは身軽な動きでかわし、大きな岩の裏に回り込む。
長い剣。一撃の威力は強いが、その分振りかざした後に隙が生まれやすい。
又、男はかなり体格がいいこともあり、動きも速くはないだろうと予想した。
剣先が当たらない範囲から落ち着いて射れば、

「ちょこまか鬱陶しいぞボウズ!」

背にした岩の真上から声がしたと思うと、何かが頬をかすめる。

「いっ!?」

慌てて逸らすと、くるりと跳んだ男が着地したのが見えた。

(なんだよ、おっちゃん結構身軽じゃねぇか…!武器もアレだけじゃねぇのかよっ!)

「はは、確かに強いかもしんねぇ…」

顔の真横に突き刺さった短剣を横目で見て口元を引きつらせたオリオンは、その短剣を引き抜いた。
そして、一直線にこちらに向かってくる男に投げつける。
当たるとは思っていない。
弓使いの彼にとっては、とにかく距離を取ることが重要であった。

「どうすっかな、」

オリオンはふと、地面に触れた。
そして、この土地特有の細かく柔らかい砂を右手いっぱいに掴むと、観客席上部を見上げる。
観客席では、大勢の人が自分を見下ろしていて、客席の後部各所には等間隔で小さな旗が立っていた。

「………」

「何ぼうっとしてやがる!諦めたか?」

ばたばたとはためいていた旗の指し示す向きが僅かに変わったのを見た瞬間、彼は握っていた大量の砂を真上に向かって放った。
風向きが変わり、オリオンの背中側からびゅうと吹きつけた風は、空中に投げられた砂を素早く男の顔へと運ぶ。

「なっ…!?」

男が顔を腕で覆ったその隙に、たん、たん、と後ろに跳んだオリオンは背中の矢束を掴んだ。

「必殺!迸る殺意にその身を灼きながら黄昏に緋を穿つ紅蓮の弓矢射ちっ!」

一度に放たれた矢は、どれも致命傷になる箇所を外し、続いて放たれた4本の矢は、一撃目で倒れた男の手足を的確に地面に縫い付けた。

「…技名…長ぇな」

「黙らっしゃい!これぞオリオン流弓術の真髄っ!」

ビシ、と男を指差したオリオンが得意げに鼻を擦ると、男は苦笑して降参の合図をし、闘技場には歓声が響き渡った。

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「では優勝者、前へ」

オリオンは、いまだかつてなく荘厳な空気に戸惑いつつも、一歩前へ出ると、静かに跪いた。

先ほどの対戦相手に言われた
『お前、絶対生意気言うなよ。それと、王妃様の前では頭を上げるんじゃねぇぞ。俺を負かしといてすぐ殺されたら冗談にならねぇからな』
という言葉が脳裏をよぎり、唾を飲む。

優勝者には、金の糸で編まれた冠が印として授けられる。それを授けるのは王妃の役目だ。
闘技場の最上部、薄い布に覆われた箱のような空間から観戦していた王妃は、この瞬間のみ姿を現す。
視界が覆われているうえに最も遠い場所から見ることになるため、出場者の姿などほとんど見えない。
言ってしまえば2人は形式上の観戦となる。

国王は玉座に座ったまま、王妃のみがオリオンの元に近づいた。
糸冠を掌に乗せた王妃が彼の鮮やかな金髪に手をやる直前、王妃は跪く彼の首元から垂れる物を見て思わず目を見開いた。
臣下が怪訝な表情で王妃を見る。

「その…首飾りは……どこで…手にしたのですか」

緊迫感を持った王妃の声色にオリオンが顔を上げると、同じ色をした瞳と瞳で視線がぶつかった。

「えっ?…あ、これですか?いや…多分、生まれた時から…」

反射的に顔を上げて返事をしたオリオンは、ハッとしてすぐに顔を下に向ける。
地面を見つめながら、顔の横に短剣が刺さったとき以上の冷や汗をかいていた。

(うわ、やっちまったぁ〜!殺されるぅ…!)

王妃はというと、信じがたい出来事に胸中がざわついていた。

息子が生きていた。そして国に帰ってきた。
おそらく、この時を逃せば二度と顔を合わせられることはない。
自分が母だと伝えたい。
恨まれるだろうか、それでもいい。

(あなたにもう一度会いたいと何度願ったことか)

複雑な思いが駆け巡り動揺を隠せない王妃の様子に、周囲がざわつき始めた。

「王妃様、陛下が心配しておられます」

臣下が耳打ちすると王妃は我に帰り、唇を噛んだ。
そして、決して言えぬ言葉を呑み込み、震える手でオリオンの頭上に飾りを載せた。

「……オリオン……あなたにこれを授けます。…………あなたが、あなたが幸福な運命を歩めることを、私は心より祈っています」
「じ、慈悲深きお言葉…ありがとうございます」

深く頭を垂れたオリオンからは、王妃のその表情は見えなかった。

オリオンが金の糸冠を身につけて闘技場を出ると、若い英雄だ、弓の名手だなんだと大勢の人が押し寄せた。

「へへっ、悪い気しねぇなぁ〜!」

愉快な気分でようやく人混みを抜けると、横から低い声で呼び止められる。

「優勝者は貴様か。」

優勝者を拝みに来たただの野次馬観戦客、というわけではなさそうで、その男は服装や装備品を見るからに高貴な身分(おそらく王宮に出入りできる者であろう)であることが伺える。
この国の装いではない。

「…あんた誰だ?」

「黙ってアルカディアに来い」

問いにも答えず、こちらに拒否権がないかのような言い草に、オリオンは僅かに表情を曇らせた。
そもそも、優勝したら王国軍に入れるという話ではなかったか。

「…いやいや、何で?」

「フン…同盟国とのたまってはいるが、それも表向き。今やアナトリアはアルカディアの傘下にすぎん。アナトリアの兵力は我が国のものとなるのだ」

(ってことは、アルカディアっていう国の王国軍に入れってことか。)

少し考え、オリオンは頭の後ろで腕を組んだ。

「ふーん、まぁいいよ。俺はどっちでも。」

毎日飯が食えればいいし、と歩き出したオリオンの進行方向から強い突風が吹いた。
砂が巻き上がり、思わず目を擦る。

「いってぇ…なんか今日の風荒れてねぇ?ま、さっきは助かったけどさぁ」

「何をしている。早く来い」

オリオンは徐々に強まる向かい風に顔を顰めながら、蠍の後を追うのであった。

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Moiraコンのオリオン、服と靴はあからさまにボロボロというか簡素な作りなのに、シャラシャラした首飾りつけてたじゃないですか。
明らかに釣り合ってないから、その首飾りには何か理由があったのでは?という妄想から作り上げた話
私の解釈ではオリオンはアナトリア(風の国)の王子ということになってるので、オリオンは風に愛されていて欲しくて、風に関する描写をたくさん織り込んでみました。

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