るいさんへ(オーダーメイド夢小説企画)

「なぁ」

 店内に流れる小音量のラテンミュージックが空気に溶け込み、不思議と、パンチートの声だけがはっきりと通るように聞こえた。
 私は動揺を隠すように、『何、』とだけ返事をして、とっくに空になったグラスに口をつける。
 アルコールのせいか、パンチートは薄らと頬を染めていて、熱の籠ったような瞳を向けられ、ドキリとした。肘と肘が触れ合うほどの距離でそのままじっと見つめられ、更に胸が高鳴る。

「オレ、るいのこと本当に愛してるんだ。心から。」

 思わず両手で口を覆うと、返事をする前に強く抱きしめられた。
 パンチートとは随分前から二人で出かけるような仲になっていて、いわゆる両片想いの状態がしばらく続いていたのだ。パンチートが私と同じ気持ちであることはなんとなく分かっていた。それでも、こうしてはっきりと言葉にして伝えられたのは初めてだった。
 これで、私達はお互いの特別になれる。私はパンチートの恋人なんだと、胸を張って言える。
今日が人生で最高の日なんだ。そう思った。
そう思っていた。



「な、何でそんなに怒ってるんだよ!」
「ほんと最悪!意味わかんない!意味わかんない!!!!」

 まるで身に覚えがないとでもいうようなパンチートの言葉に、怒りが込み上げた。思わず立ち上がって掌を振り上げるが、反射神経の良いパンチートには通用しない。ひょいと身体を反らせて簡単にかわされてしまった。
 空振りした平手打ちは、代わりに年代物のワインボトルに当たる。向かいに座っていたホセは慌てて身を乗り出し、倒れかけたボトルを抱え込むようにしてソファに身を縮めた。

「き、君たち、ちょっと落ち着いた方がいいんじゃないか?」
「ホセは黙ってて!」
「オレは何が何だか分からないだけで落ち着いてるさ! 怒ってるのは彼女だけ、」
「パンチート! 君だ! 君が早くここからいなくなった方がいい。俺のためにも一旦退いてくれ」

 必死の形相で相棒に諭されたパンチートは、納得いかないような顔をしながらもそそくさと背を向けて店の入り口へと走っていった。
 は? 何その顔。苛立ちのまま、その背中に濡れた台拭きを投げつける。……はずが、それは勢いよくホセの顔に命中した。ビタン!と、痛々しい音がする。

「あっ…」
「……ホント、顔はやめてね顔は」


++++++++++++++

「少しは落ち着いたかい?」
「う、うん…えっと、ごめんねホセ」
「いやいや、構わないさ。平手打ちの一つや二つ、慣れたものだよ」
「…それもそれでどうなの?」

 さて、とホセは仕切り直すように腕を組んだ。

「どうして君がそんなに怒っているのか、話を聞かせてくれるかい?」

 そう言われて、私は俯いた。

「……一昨日、くらいなんだけど。パンチートにね、告白されたの」
「……んっ?」
「愛してるって、初めて言ってくれた。だから私、やっとちゃんとパンチートの恋人になれるんだって…そう思ったのに…!」

『パ、パンチート……あのね、この前の返事なんだけど』
『??? 返事って?』
『えっ…? パンチート、私のこと愛してるって言ってくれたよね…?』
『…あぁ〜あれかぁ! 言った言った!』

『で、それがどうしたんだ?』

 話しながらきちんと思い出してみると、怒りよりも悲しみが上回ってくる。
 私にとっては大事な一言だったのに。この数ヶ月、その言葉をずっと待っていたのに。彼にとっては、酔いが覚めたら忘れてしまう程度の軽い言葉だったわけだ。『あれかぁ』なんて言うくらいだから、他の人に言っている可能性だってあるはずで。
 私はパンチートにとってただの都合のいい女だったってこと? 何人もいるうちの一人で、特別でもなんでもないってこと? 私はパンチートのことだけが好きなのに。
 ぽろぽろと涙をこぼす私に、ホセは同情よりも困惑の色を強くした。

「ちょ、ちょっと待ってくれよ。そもそも、君達は恋人同士のはずだろ? それも随分前から」
「あぁ…周りからはそう見えてたのかな。それは確かに、嬉しいけど」
「いや、パンチートからそう聞いてたんだ」
「……ハァ?」

 どうにも話が噛み合わない私達は、先程追い出したばかりのパンチートを再び呼び戻すことにしたのだった。

「ええっ!? オレ達って付き合ってなかったのか!?」
「それこっちの台詞なんだけど!?!?」

 掴みかからんとする勢いの私を、今度はホセは止めなかった。

「ごめん、きっかけがいるなんて思わなかったんだよ。オレはるいが好きで、るいもオレのことが好きだろ? それならもうオレ達は恋人だって思ってたんだ」

 ハァ……と深いため息をついたのは私ではなくホセだ。
 当の私はというと、不覚にもほだされかけてしまっていた。駄目、だめだめ。恋人だからこそ、こういうのって多分すぐに許しちゃいけない。
 それに、まだ聞かなきゃいけないことが一つある。

「じゃ、じゃあ何であの時『それがどうした』なんて酷いこと言ったわけ!?」
「い、いや…だって、当たり前のことじゃないか」
「何が当たり前なの!」
「君を愛してるって気持ちがさ」

 ぼっ、とコンロの火がつくかのように顔が赤くなる。怒りとして上がっていたボルテージが、別の方向に爆発してしまった。突然ピタリと動かなくなってしまった私の顔を、パンチートは心配そうに覗き込んだ。
 彼の言葉が、言い訳でも誤魔化しの口説き文句でもないというのは、表情を見ればすぐに分かった。
 こいつは、この人は、もう!
 裏表がなくて、嘘がつけなくて、まっすぐで。どれだけ私の心が不安定でも、変わらずに笑っていてくれた。そんなパンチートのことが、大好き。
 感情任せになってしまって、パンチートの気持ちを疑ってしまった自分を情けなく思いすらした。怒る前に、ちゃんと聞けばよかった。
 そんなことを思っている間に、いつのまにかパンチートがソファ席を離れ、私の真横に立っている。何か覚悟を決めたようなその顔を見て、直感で『まずい』と思った。こういう顔をしている時のパンチートは突拍子もないことをしでかすと決まっている。
 ちらりと斜め向かいを見ると、ホセは既に諦めたような顔で、壁に同化するのかというほど端に体を寄せている。片手にチップスを持ったまま、ディップするでもなく、小皿に盛られたアボカドソースをただ眺めていた。

「君が言葉をそんなに大切にしてたなんて知らなかったんだ。でも、信じてくれ! オレが君を愛してるって気持ちは本当なんだよ!」
「えっ? あ、うん、それはもう…分かった、ありがとう。私もパンチートのこと好」
「オレはるいを愛してる! この店にいる全員に言ったっていいくらい本気なんだ!」
「そんなに大きい声では言わなくていいから…! あの、分かったからもう…!」

 店中の視線を集めながら、パンチートはフロアの中央で私を抱き上げた。

「るい、オレは君を愛してる!!」
「わ、分かったって!! 分かったから降ろして!」

 騒ぎ好きの常連が『お前やるなぁ!』と笑って立ち上がる。周囲の客達も陽気な空気に乗せられ、割れるような拍手と揶揄うような口笛が飛び交う中。ホセは指先についたアボカドソースを紙ナプキンでスマートに拭き取ると、チョイチョイと店員を呼びつけた。

「あぁ、ウェイトレスのお嬢さん。ちょっと席を変えてもらえる? 出来れば、君の隣がいいんだけど。」


おしまい

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