握りしめた手に 何も掴めぬまま (レオン+幼少期スコルピオス)
「陛下!」
カストルの声が聞こえた。
死んだかのように見えた義兄は、最期の力で私に掴みかかると、道連れにすると言わんばかりに体重をかけ、地面へと勢いよく倒れ込んだ。
自らの死を悟ってなお殺意を持ち続ける執念は恐ろしいものだ。
義兄は私に勝負で勝ちたいわけではない。
ただ、私に死んでほしいのだ。
徐々に強くなっていく後頭部の痛みと反比例するように、意識が薄れていった。
………………
「…ぃ、…おい!」
高く澄んだ声にまぶたを開くと、目の前には刃の切っ先があった。
何だ?
私は地面へと叩きつけられて……その後の記憶がない。
ぼうっと切っ先を見つめていると、刃の持ち主であろう人物が口を開いた。
「お前、何者だ。城の者ではないな?」
声の主を見上げると、少年が立っていた。
齢は九つ、十つといったところだろうか。
少年は、子どもながらに上質な絹のヒマティオンを纏い、煌びやかな装飾品を身につけている。王族か…?
緩やかに視線を上げると、少年の顔つきにどこか既視感を覚えた。
真紅の髪は、意識を失う前まで見ていたあの色と同じだ。
深く赤い髪を三つ編みに下ろした少年の瞳には、強い光が宿っていた。
「……君は…?」
「私の問いに答えろ」
恐る恐る問うと、少年は刃先の位置は変えず言葉を返した。
遥か昔、遠い記憶だが、私は確かにこの声を聴いたことがある。
まさか、いや…?
そんなわけが…
少年ばかりに気を取られていたが、ふと周囲を見て息を呑んだ。
ここは…間違いない。アルカディア城内の中庭だ。
一体、どういうことだ?
…ひとまず、顔に穴が開く前に少年の質問に答えなければならない。
「すまない。私は…ラコニアから来た彫刻家だ。この城は広いから、道に迷ってしまった。」
落ち着いた声で虚構を述べると、少年はようやく刃を下ろした。
「…まぁいい。信じてはいないが、武器も持っていないようだしな」
幼いながらに威厳を持った少年は剣を鞘に収めると、座っている私を見下ろした。
「私はスコルピオス。この国の第一王子だ。この城に出入りすることがあるなら覚えておけ」
やはり。
少年は義兄の幼い頃の姿そのものであった。
なるほど、信じがたいが、どうやら私は過去に戻ってしまったようだ。
義兄上が第一王子ということは…この時代の私はまだ三つ、四つ程だったか…?
黙って考え込んでいると、幼い義兄がじっと私を見ていることに気づいた。
「お前…弟に似ている」
「…!」
指を差され反射的に視線を逸らす。
義兄に見つめられると、いつでも何かを見透かされたような気分になる。
「私の弟にも一房、金の毛がある。」
気づかれてはないようだ。
いや、気付くわけがないか。
歳の割に警戒心が強い彼も、子どもらしい一面を持ち合わせているらしい。
私の髪に親しみを感じたのか、彼はほんの僅かに表情を和らげると、弟のことを話し始めた。
弟の名前はレオンティウスということ。
弟は自分をとても慕っていて、どこまでもついてくるから少し困るということ。
きょうだいができるなら弟がいいと思っていたこと。
弟は…気が弱いから将来戦えるのか心配だということ。
ゆっくりと相槌を打ちながら義兄の話を聞いていくと、心が抉られるようだった。
自分達がどのような運命に導かれていくかを、この時代の彼等は知らない。
義兄上、私とあなたは、殺し合うのです。
そしてあなたは、
「臆病なレオンティウスのためにも、良き兄で「もし…もしその弟が、いずれ君の地位を脅かすことになったら…君はどうするかい?君の王位を彼が奪うとしたら」
言葉を遮られた義兄は、目を丸く開いてぽかんと口を開けると(初めて見る表情だ。今後見ることもないが。)、呆れたように軽く笑った。
「訳の分からないことを言うな。そもそもそんな愚弟にはならない。もう少し成長したら俺が一緒に稽古を見てやるからな。例え父上が甘やかそうとも俺が厳しく躾けてやる」
一切の疑問を持たぬ心からの言葉が、更に私の心を深く突き刺した。
「………はは、それは…ありがたいな」
「なんにせよ、王になるのは私だ。お前が案ずることはない」
義兄を差し置いてこの国の王になれと言われたとき、私は何と答えたのだろうか。
もう、記憶がない。
少なくとも、毅然とした振る舞いはしていなかったように思う。
義兄は王に相応しかった。
私は王にされただけだ。
「そうだ…この国の王には君がなるべきなんだ…私には…そんな資格はないよ」
「当たり前だ。どこの誰とも分からないお前が王になるはずないだろう」
身の上話をしすぎたと感じたのか、私の様子を不審に思ったからなのか、義兄はふぅと軽く息を吐いて姿勢を直した。
「私も暇ではない。お前もいるべきところに帰れ。不法侵入は見逃してやる」
言うが早く背を向け歩き出した義兄に、思わず手を伸ばす。
「…あ、待ってくれ………義兄上!」
置いていかれる。
反射的にそう思った。
義兄は、奇妙なものを見るような表情で振り返り、足を止めた。
「……あなたと話せてよかった」
「…おかしな奴だな」
喉から言葉を絞りだすと、義兄の苦笑いを最後に再び意識が途絶えた。
………
ハッ、と飛び起きるとカストルの驚いた顔があった。
「陛下!目を覚まされて…本当に良かった」
「……私は…?」
「一日眠っておられました。」
どう見てもここは私の部屋だ。
頭を触ると、軽く痛んだ。
あの時打ったものだろう。
…あれは夢だったのだろうか?
むしろ、こちらが夢であった方がよかった。
頭の傷を作った義兄の最期が脳裏をよぎる。
「…稽古は、…してくれなかったな」
胸の中の何かを断ち切るように大きく息を吐き、ゆっくりと立ち上がると臣下に告げた。
「私がいない間、苦労をかけてすまない。私も戦地に戻る。戦況を教えてくれ。」
今日もまた、幾つもの星が流れるのだ。
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スコルピオスの一人称が一部「俺」になっているのは、素っ頓狂な質問をされて思わず素が出たからです
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