春熊
あたたかな金曜日。
ぼくは用意したティーポットを持って、
近所の湖まで散歩に出かけた。
湖畔には桜の木が
何本も植えられていて、
春になるとそれはもう、
うっとりしてしまうぐらい
美しいピンク色に染まるんだ。
ティーポットには温かい黒糖入りの
ミルクティーが入っている。
それをこくり、こくりと飲みながら、
咲きだした桜をゆっくり愛でて、
ぼくは歩を進めていく。
今年も、咲いたなぁ。
当たり前のことを思いながら。
ふと、ある桜の木の下の
大きな石が目に入った。
石の上には、なにやら
黒い物体が乗っかっている。
何だろう。
近づいてみると、それはクマだった。
クマが、大きな石に腰かけている。
そして、哲学的な顔をして
一心不乱に湖を見つめている。
ぼくが驚いて凝視していると、
クマは僕に気がついてこう言った。
「やあ、君。今日は良い日和だね」
さらに続けて言う。
「桜もこうして咲いたことだし」
「今、生きる意味について考えていたんだ」
クマは聞いてもいないことを、
自分からぺらぺらと喋る。
「たまにね、ふっとそんなことを
考えてしまう時があるんだよ。
熊にだってね」
少し喋りすぎたと感じたのか、
クマは照れ臭そうに
ふふっと笑ってから言った。
「そんなことよりさ、さっき
パンケーキを焼いたんだ。
良かったら、一緒にどうだい?」
「ふかふかで、おいしいよ。
ぼくのはそんじょそこらのやつより
よっぽど美味いって仲間の間では
わりあい評判なんだ」
話しているうちに
味を思い出したのか、クマは
ずんぐりした前脚の爪を
可愛らしくぺろっと舐めた。
悪いクマではなさそうだ。
じゃあ、せっかくなのでご相伴に…
そう言いかけたところで、
強い風がぴゅうっ、と吹いた。
桜の花びらがほんの少しだけ舞う。
一瞬だけつぶった目を開けると、
桜の木の下にクマはもういなかった。
さっきクマが座っていた
大きな石の下には、黒々と湿った
土が広がっていて、何かの
食ベカスのようなものが
いくつかこぼれているだけだった。
「…エイプリルフール」
ぼくは呟いて黒糖ミルクティーを
ごく、と飲んだ。
そして、またゆっくりと歩き始める。
春には、いろんな出来事が起こる。