パンクロックなワイン作り。
少し11月に入ってから落ち着いたんだと思う。
追われる感じも少し減って、やらなきゃならないことはたくさんあるけど、人に会う時間ができたように思う。
そして、人に会うととても得るものがたくさんある。
アイデアも。
知識も。
発想も。
人に会うって本当大事だよなぁとつくづく思う。
もちろん、オンラインの打ち合わせも大事だけど、経験というか、むしろ体験?。
視覚、聴覚はもちろん、空気や匂い、間隔などの距離感、会うまでの時間やオフィスに戻るまでの時間全てが記憶になる。
俺みたいな凡人は、すぐ物事を忘れてしまうので、そういった体験があることで、少しでも記憶として留めておくことができるようだ。
でだ、やっぱりそれでも忘れてしまうので、日記を書くべきだろうと。
少し時間が空いたけど再び時間の許す限り、誰かに読んでもらうというよりは、自分の記憶のためにこのnoteを続けよう。
いくつか書いておいた方が良いことがあるのだけど、何から書こう。
友人である醸造家で果樹園をやってるところへ取材に行った時のことをまず書こう。
ご存知醸造家の彼はバンドマンでもある。
とってもかっこいい。見た目も雰囲気も最高だ。
作るワインも美味しい。
しかしながら、俺はワインのことは全然詳しくない。山梨に来て、ワインに詳しい人がたくさん多くてビックリしている。
甲府のワインバーも山梨で出来たワインを楽しみにしてくる地元のお客さんも多い。
以前、ユザーンさんとオアシスという俺らが馴染みのワインバーに行った時、「ここのお客さんは、ワインを銘柄じゃなくて、作った人の名前で注文するんだね!」などと言っていた。
そう、それほどどこの誰が作っているか分かっているというのも面白い。作った人の顔が見えるワインって最高じゃんね。
で、話を戻すと、若尾さん(結局、最初名前を伏せてたのに言ってしまう)とこの取材で何が良かったというと、数多くのワイナリーがある勝沼で、若尾さんがどんな思惑でワインを作っているかということだ。
ちなみにこの取材は、パンフレットやWEBに展開されるんだけど、切り取られ方が異なるかもしれないが、今から言う内容はあくまで俺の解釈である。
俺はどちらかと言うと、バンドマンとしての側面しか知らなかった。
彼の音楽は、ストレートでパンクでロックでパッションだ。仲間を愛し音楽を愛してる。
そんな若尾さんが俺は会った時から大好きなのだけど、醸造家としての側面はあまり知らなかった。
良いなと思った点その1。
歴史ある若尾家の文化を大事にしているということ。つまり、親父さんから引き継いだワイン作りを今も大切に守っているそうだ。つまり味を守るってことだよね。
こういった守る話は五味醤油でも蓬莱軒でも聞いたことがある。
何十年、何百年続く事業の秘訣はまさにそこにあると思う。今の時代の言葉でいえば、サスティナブルだよね。もう何年も続いているんだから。
その2。
パンクロックな精神もワイン作りにあったこと。我々インディーズ音楽界隈って、その業界の名前の通り、マイナーなことにチャレンジ?というか、そういうのが好きというか、反骨精神的なこともあったりしてる人が多くいるんだけど、若尾さんからもその空気を感じてて、何種類か作ってるワインにも、そんな感じの作り方でやっていると感じるものがあった。本人は自覚しているかどうかわからないけど。
もちろんビジネスではあるけれど、作りたいワインを作るっていうことが根底にあるんだなぁと。
という感じ。
何が言いたいのかというと、若尾さんは最高だということ。
改めて好きになった。
なんか簡単に書こうと思ったのに長くなっちゃった。
とりあえず今日はここまで。
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