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台湾・忠烈祠におもう(『昭和16年夏の敗戦』書評)【三世議員のゆる政治エッセイ Vol.6】

『昭和16年夏の敗戦』

 8月は戦争のニュースも増え、戦争関連の本を読みたくなる。先日、台湾に訪問した際の飛行機内で、久しぶりに猪瀬直樹さんの『昭和16年夏の敗戦』に読んだ。

 この本を読むのは3度目で、初めて読んだのは、10年ほど前、すでに政界引退していたが、元総理の小泉純一郎さんが突然「脱原発」を言い出した時だった。小泉さんはフィンランドの核廃棄物処分施設・オンカロを見に行き、脱原発に目覚めた。その時にこの本を読み、いま立ち上がらなければ、『昭和16年夏の敗戦』を繰り返してしまうと思い、行動したという。そんなエピソードを聞き、元総理を脱原発活動に至らせた本というのはどんなものなんだろうと読み始めた。以来、ときどき読みたくなる本の一つだ。

 この本は昭和16年に内閣直属の機関として設立させた総力戦研究所の研究生たちが、同年8月に日米戦争の模擬演習を行い、日本必敗を結論づけた話を描いている。それと並行して時の陸相、開戦直前に総理大臣となった東条英機を中心に開戦に至るまでの経緯を描く。本書の東条は、職務への実直な性格と天皇への忠誠心に焦点を当てて、陸相時代は陸軍を代表する立場で主戦派として振る舞い、総理になってからは天皇の戦争回避への思いを実現させようと板挟みになって、苦しむさまを描写されている。いまでこそ、東条ひとりに開戦の責任を押し付けるような話は聞かなくなったが、本書が出版された1983年当時は東条英機巨悪論も残っており、本文中に東条遺族から「私たちが弁解をすることは、戦死者の遺族の神経に触れることになる」から「そういう書き方を控えてください」といわれるエピソードがあり、東条家が世代を超えて背負っていた苦労がわかる。

 本書では開戦直前に日本必敗の考察と結論が総力戦研究所から報告され、内閣も戦争回避への努力をするもなぜ開戦に至ったのか、その理由を、開戦を望む統帥部や世論、憲法や制度の壁、陸海軍間のセクショナリズムなどを資料や証言から引き出している。詳細に描けば描くほど、開戦を決定した主体とその責任の所在がよくわからず、意思決定における日本独特の空気感がよくわかる。いうなれば、開戦もしょうがないし、負けたのも(初めからわかっていることだから)しょうがない、という感じだ。

八月は政治家の靖国神社参拝が話題になる

 日華事変、太平洋戦争の原因は、統帥権や現役武官制という構造的な問題が根幹にあったのはよくわかっているつもりだが、それでも勝ち目の薄い戦争への決断をした指導者たちは私の尊敬の対象ではなく、彼らが祀られている靖国神社には私は参拝しない。

 一方で、くにや共同体のため命を懸け戦い、散っていった戦没者の方々に私は尊敬と敬意、感謝をこめ千鳥ヶ淵戦没者墓苑で祈りをささげることにしている。
 天皇陛下(昭和天皇)は戦後、靖国神社に参拝をされていたが、あるときから参拝をされなくなった。天皇陛下万歳といって戦い、死していった者たちが祀られている靖国神社への参拝をなぜされなくなったのか、陛下はおっしゃることはなかったが、我々はその理由を考えた方がいい。

台湾・忠烈祠訪問・献花

 先日、自民党東京都連の青年部らで台湾に訪問した。青年部による台湾訪問時には必ず忠烈祠に訪問し献花を行う。この施設は台湾国防部の所管の国の施設で、中華民国設立に向けた革命、日華事変での戦没者らが祀られている。日本でいう千鳥ヶ淵戦没者墓苑に近い施設だ。日華事変では我々と敵味方に別れたが、彼らもまた、くにのために散っていった方々で、花輪とともに鎮魂の祈りをささげた。

 忠烈祠は建物は豪華な造りで、一般開放の時間は常に衛兵が門前と本殿(?)の前を守っている。守備にあたっては、イギリスの宮殿衛兵よろしく微動だにせず、1時間に一回交代が行われ、その厳粛な「交代式」は大変見ごたえのあるものだった。忠烈祠とこの交代式は今では観光資源としての側面があるが、本質は国家のために戦った戦没者への国家によるリスペクトだ。選抜された兵士が常に門と境内を守り、その交代のたびに厳粛な式と礼を英霊に行う。日本では、英霊への弔いの主体は政府と関係のない靖国神社が「主」になっているが、本来、国家のために散っていった死者たちに対して、政府はこれくらいの敬意と尊敬を持つべきだろう。

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