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ドタバタ活動日記 11/23-29
旧友らと久々にキャンプに行く機会があった。どうやら、このメンバーとのキャンプは丸1年前らしい。この会は、突発的に適当な呼びかけによって開催に至ったが、それでもこうして火を囲みながら集えることに、喜びや空間すべての愛おしさというものを浮かべる。
しかし、車の荷台を開ければ、あれが足りない、これがないなどと手抜きさが見え見えになったが、どうにかなるという適当さは、この旧友だからこそ思える感情や思考なのだと思う。
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そして、高校の友人らとボルダリングにも連れていかれた。以前、ボルダリングに初めて行った日から、それぞれのコミュニティの中でボルダリングの話題が上がってブームとなっていた。僕自身、そこまで温度が上がっているわけではないが、誰かと行こうという話題でしか、僕は登らないことが分かっているので、誘われたら行くことにしている。
僕からは言い出さないだけで、呼ばれたら喜んで壁を登ろう。
人間関係は良くも悪くも単純な構造であって、一つのことがほつれる原因となったり、より強固なものになったりする。それが恋愛であれば、その傾向が顕著に表れるのかもしれないと思う。
ある種、それぞれの人間は完成された状態であると認識しており、その完成されている造形物に手を加えるのであれば、より一層の完成形を求められる。もちろん有形物ではなく、内面的な創造物であって、そもそも現状が完成形であることは知るすべもなく、審判する者もいない。
だからこそ、形あるものに手を加えることは、可能性でもあり夢でもあったりする。一方、違法増築にも成り得てしまう。
ただ、違法増築が悪ではない。悪であるか否かも審判しようもないからだ。それぞれのフィーリングによって形作られている。
僕にとって造形物は、ある種洗礼されたものとして、僕の中に存在している。
ドタバタ活動日記 2024/11/30
・Rain / 坂本龍一