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6/3-9 ドタバタ日記

3日
ここまで来てしまったら練習もなにもなくて、熱を帯びていられるかどうかの問題になってくる。そのためには、過去を捨ててわずかな制限時間内にのみ脳みそを偏らせる必要がある。その点僕は、ヘルシーな生き方を選び取ってきてそれが自然と身についてしまっているのだと思う。これまで多く人から面接練習に付き合ってもらったが、人当たりの良さだけでなんとかなると雑なようで正確な指摘を受ける。
そう考えたら、試験なんかよりも面接の回数が多い民間の方が向いているのではないかと悟る。


4日
ひと段落ついた今。それでも大学には行かなくてはならないと錯覚させられて気づいた時には、家の外に出ている。これは習慣であるか、それともただのプライドかエゴのどちらかだと思う。もちろん、まだまだ作業することは残っていて手を抜かなければ、このような迷いは浮かぶ暇がない。
理由を付け足しするように、友人と会う約束をしたり、トレーニングセンターの準備をしていく。図書館には、スマホの充電をメインの理由にして作業に取り掛かる。当然これまで通りの成果は生まれない。


5日
お返しに、友人の面接練習とトレーニングに付き合うことになった。
アドバイスをしていると、その発言が自分自身に跳ね返ってきたり僕の考えの押し付けであると気づかされる。そう考えると理屈ではなく、その場のフィーリングなんだと思い知る。
それは、トレーニングも同じで、筋肉の動き方はどうしても感覚的思考に頼らざる得ない。トレーナーを引退してから、そうした感覚が鈍くなっているのを感じる。反対に、理屈だけは残り続けているから少しめんどくさい奴になってしまわないか心配する。その点、友人とのバランスは取れているのではないかと思う。
今年全てを使って身体を仕上げると決める。


6日
大学で暇な友人を捕まえて近況報告とその相談をする。
脳みそ内で循環させるのと、声として外に放出しながら吸収するのとでは大きな違いがある。その点、答えにたどり着くことを目的にしない方がよっぽどヘルシーであると思う。だから、話をしていく途中でだんだんと愚痴みたいになってしまった。しかし、こう言えるのは余裕がある証なんだと思う。もっとクールなやり方があるのではないだろうか。


7日
懇談会に出席する。
出席したことでマイナス評価になるわけなく、ポジティブな情報しか入手しない。だから、必然的に情報量は多い方を選び取る。公平さを考えるとこれに関しては異議を唱えるべきだが、ある種運命だと割り切った方が楽な時もある。思考が循環させすぎるとどうしても楽になりたいと思えてしまう。このような思考が危険であることを自覚しなければならない。


8日
仲間らとの交流会に顔を出す。
僕は、いつの間にかそのコミュニティで上の世代に君臨していた。だからといって、大きな変化はないが人の循環とか流れを身をもって感じる。それはある種、進化とも呼べるだろう。
今日のように一つの空間に一同集まれることは素晴らしいことだと思うし、そのようなコミュニティは作ろうとしてもなかなか難しいものである。久しぶりに飲んだアルコールは、脳みそを侵略した。翌日にも用事が入っているのだが、その瞬間のフィーリングは両ひざに埋め込む。


9日
頭の重みを感じながらベットから這い上がる。
一方、内心的な重みは随分と軽くなったものだと自分自身驚く。よっぽど、危険な状態でいたのか、それとも反動による押し戻しのピークなのか。ゆっくりと支度をしながら僕の先輩と会う準備をする。
自分自身でもまとまっていない話を聞いてくれるだけでそれに救われる”何か”がある。
ここ数日は、誰かと会うウィークが開催中である。

僕は、どちらかというと自分に厳しいタイプでめんどくさいタイプなのだと思う。現に、試験が落ち着いてしまってスケジュールに空白が生まれているのを喜ばしい反面、何かを許せない思いがある。結局のところ、僕は解放のやり方・幕のおろし方が分からないのかもしれない。こればっかりは、脳みそでは解決できない。



ドタバタ日記 2024年6月10日

Tune of the One weeks / 今週の一枚

・赤裸々/ BREIMEN




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