『天晴!な日本人』第54回 神算鬼謀の奇才、天才参謀の秋山真之 (6)
東郷の猛特訓は伝説にもなったほどです。
その激しい訓練のため、『三笠』は1年分の弾薬を10日間で使ったほどでした。これにより、日本の命中精度が格段に上がり、実戦ではロシアと大きな差が出たのです。
日本は、巨砲は少ないものの、中小口径砲の数は凌駕していました。真之は、2隻の戦艦を失っても巡洋艦や駆逐艦が多く、実戦経験も積んでいるので負けるはずがないと断言しています。
対するロシアは、2倍の戦力で鎧袖一触、完勝するのが当然という態勢でした。実際には戦力こそ劣ったものの、操艦技術、各装備、砲術の精度など、日本が優勢だったのです。
この時、真之が企図したのは、奇襲や突飛な戦術ではなく、がっぷりと四つに組んで退ける正攻法でした。それも誰かが八面六臂の活躍をしたとかではなく、全体が統合した総合力で勝つことを想定しています。
いわば、誰がやっても勝てる作戦を立案しようとしたのです。ここが真之の非凡たる所以でした。
準備した作戦の大きな骨格は、「七段構え」です。朝鮮半島の済州島からウラジオストックまでの海域を七つに分け、その区分ごとに夜は雷撃、昼は砲撃を繰り返します。
雷撃というのは、わずか100トン足らずの木の葉のような水雷艇で魚雷攻撃をすることです。小さな艇なので、敵の砲撃以前に、荒い波や風雨にも弱い危険な任務でした。
真之の構想した第一段は、敵主力に対し、決戦前夜に雷撃し、統制を乱すというものでした。第二段は暁から日没まで艦隊総出で正攻法決戦、第三段、第五段は夜間の水雷攻撃、第四段、第六段は主力を中心として敵の残存艦を追撃するものです。
第七段は、第六段での残存艦を、事前にウラジオストック港口に敷設しておいた機雷海域に追い込んで爆沈させるというものでした。
この時、島村参謀長が第二戦隊司令官に転出し、加藤友三郎少将が参謀長に着任しています。加藤参謀長も、作戦は全て真之に一任しています。
真之とは『吉野』の回航の時に一緒に仕事をした仲です。この加藤は後にワシントン軍縮会議が開催された時の日本全権であり、四つの内閣で海相を務め、首相になった他に海軍の重鎮になっています。
日本海海戦に臨む2か月ほど前の3月10日、陸軍は奉天で大決戦をやって勝っていましたが、バルチック艦隊を倒さない限り、制海権(正しくは海上優勢)を取れず、日本の領土はロシアに脅かされてしまいますし、陸軍の輸送もできません。
リバウを出航したバルチック艦隊は、途中、イギリスの妨害もあって、予定外の航海を強いられていました。この時の軍艦の燃料は石炭ですが、この補給でもイギリスの植民地や友好国が多かったので苦労させられています。
3年前に結んだ日英同盟のおかげです。イギリスは、陸の強大国ロシアを牽制するため、日本に代理戦争をさせたとも言われていますが、植民地のインドを目指して南下政策をとるロシアを阻止せねば、という思惑がありました。
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無期懲役囚、美達大和のブックレビュー
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