『天晴!な日本人』 第57回 無垢なる勤王の武人、広瀬武夫 (2)
<管理人よりお知らせ>
祝日の関係で、今週の投稿は(月)天晴!な日本人 (火)フィスト・ダンス (水)美達さんからの返信 になります。皆さま、よろしくお願い致します。
<日本男児の心意気>
暴風雨を乗り越えた武夫の漢詩を現代語訳しました。
「正午雲散じ天拭うがごとく
水天万里縹渺の秋
壮児舞い健児踊り
満艦至る所歓声あふるる」
「君見ずや日本海軍真男児
艱難経来りて
胆ますます大なり」
勇猛な武夫の心が表われています。
オーストラリアでは主な都市を巡っていますが、東海岸のブリスベーンでは、遠き異国の地に在りて尚、天皇に思いを致す心を漢詩にしていました。
「艨艟命を受け遠く南航す
万里の長途異郷に在り
身は濠州に在りて魂穏やかに
九重の禁内(皇居のこと)に天皇を拝す」
この時の航海で、オーストラリアの人々は、日本の軍艦が日本人だけで航海していることに驚いています。それだけ、日本は文明が遅れていて、日本人の能力も低いと見られていたのです。
日本人の英語力も感嘆の的で、現地の新聞が報じています。
武夫はシドニーに入ってからは、港の防御施設を詳しく記録していました。
日本に帰る航路では、こんな漢詩を作っています。アレキサンダー大王とカエサルという英雄に思いを馳せている時でした。
「ああ吾また堂々の一男児
平生の抱負何の所をか期せん」
「艱難辛苦は吾が益友
盤根錯節は是れ良師
ただ恐れる偸安徒に日を消し
志業酬いられずして吾自ら欺かんことを」
苦労、困難は良き友、良き師、恐れることは安楽を貪り、無為の時をすごし、自らの使命を忘れ、自らを欺くこととしているのです。
現代の人によく聞かせてやりたい警句です。
このように武夫は常に日本男児、武人としての志を忘れず、自省を繰り返して自らを律していました。
武士道、陽明学の「知行合一」を実践する生き方です。
1892(明治25)年6月29日付で、武夫は軍艦『筑波』の分隊士、翌年4月25日付で軍艦『迅雷』勤務となり、水雷術の訓練を受けることになりました。
訓練を受けるのは尉官の23名で、11月、武夫は首席で卒業、同艦分隊士に任命されます。
水雷とは、魚雷、機雷のことです。
そうして、1894(明治27)年4月、武夫にとって生涯忘れられぬ出来事がありました。
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無期懲役囚、美達大和のブックレビュー
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