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『天晴!な日本人』 第75回 克己勉励、不動の精神の人、東郷平八郎(4)


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<本文>

6隻を失ったことは、海軍にとって、勝利を大きく左右する一大事件でした。
その時、東郷は平生と全く同じ表情で盆の上の菓子を勧め、なにごともなかったかのように振る舞い、士気を鼓舞したのです。
その後、東郷はその艦隊を激励しに行きましたが、乗艦していたイギリス海軍の観戦武官は、いささかも動揺していない東郷を見て、これこそ指揮官の在るべき姿だと感動しています。

日本海海戦の前に、東郷は秋山真之ら幕僚を連れて、乃木を表敬訪問していますが、寡黙かもくな両大将は、初めに「やあ」と握手したきり無言で、互いの幕僚らが困ったほどでした。

<運命の5月27日来たる‼>

現在も世界の海戦史上に燦然さんぜんと輝く「日本海海戦」ですが、その日は5月27日にやって来ます。アフリカを回り、インド洋を通り、フィリピンを通過しつつあるバルチック艦隊と、迎え撃つ連合艦隊、ここで最大の懸案は、バルチック艦隊はどこに向かうか?でした。
対馬つしま海峡か、津軽海峡か、宗谷そうや海峡か、です。
各艦隊の司令や参謀らは、なべて津軽海峡と主張しますが、東郷は「対馬だ」と言います。幕僚の1人がその理由をくと、「対馬だから対馬だ」と応じました。
寡言の東郷らしい逸話ですが、晩年の話では、東郷には3点の理由があったのです。
津軽、宗谷は霧の日が多い、遠い、燃料を費消するぶん、戦闘を長く続けられないロシア、というものでした。実際に対馬に来た時、秋山が小踊りしたのは、秋山のところで述べた通りです。
東郷には海軍一の歴戦のキャリアがあり、それが財産かつ判断の根拠になっていました。

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