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『天晴!な日本人』第44回 剛毅朴訥(ぼくとつ)、仁(じん)に近しを体現した秋山好古(よしふる)大将(5)

戦闘は好古の隊が圧倒され、士気も低下していきます。好古は指揮刀を振り回し、懸命に部下の将兵らを励まします。
敵の弾丸が飛んでくるのをものともせず、好古はとく戦し続けました。この好古の姿を、後年、第一中隊長の河野こうの大尉は、

「あたかも桜花爛漫らんまんたる中で、酒客が盃を傾けているような風情であった」

と述懐しています。

副官が好古の馬のくつわをつかんで後方へ戻そうとしますが、好古は退きません。好古は敵の砲兵陣地に攻撃せよと命じます。
河野大尉は、我が大隊長は狂ったのかと思うものの、命令は絶対なので、好古の前で「剣の礼」を執り、今生こんじょうの別れを告げて行きます。

好古はかたわらにいた通訳に対し、

「わしは旅順に行けと命令されている。退却しろとは命令されておらん。去る者は去るがええ。わし一人でも旅順へ行く。ただし、通訳は必要じゃけ、君だけは一緒に来てくれ」

と言っています。

それから間もなく、敵陣に加勢の隊が来て、戦局は一方的となり、とうとう、好古は退却を命じました。好古自身は最後尾の殿しんがりとどまり、後退と反撃を繰り返して犠牲を最小限にしています。
騎兵の損害は戦死1名、負傷5名と奇蹟的に軽いものでした。
好古はこの闘いで、指揮官の勇気が、部下から絶大な信頼を得ること、騎兵は弱いという評判を改めたことを収穫としています。

第二軍の旅順総攻撃は予定通り11月21日未明に始まりました。陸海軍の大軍で半年はかかるとされた攻略は、なんと一日で完了したのです。
好古の上申書、それをもとに緻密に立てられた作戦、鍛えられた将兵、士気が衰えてしまった清軍、という要素が連なった結果でした。

この後、好古は第二軍の先鋒隊として北進しますが、途中、押収した戦利品には一切、手を付けることなく、後方に送っています。
好古、欲がないのです。

将兵の間では、他にも好古の風呂嫌いと、シラミ退治が話のタネになっています。好古、朝の洗顔もしませんし、入浴は一年に数回です。
戦場では好天の日に陽光を浴びながらシラミ退治をするのが日課でした。

好古、北上する間に幾度か敵と闘っていますが、営口えいこうでは自軍の1000人で敵の20000人を迎えています。好古、こんな時でも馬上で悠然と酒を飲んでいるのです。
毎日、酒を調達するのも当番兵の務めでした。酒は志那酒であろうと何でもいいのです。

好古、苦戦はしても、どういうわけか、必ず窮地を切り抜けます。その勇敢、果敢さが、利にかなっているのか、強運の男でした。
数々の死地を乗り越えている間に、騎兵にも砲が必要と痛感します。
ずっと好古に付いていた副官の稲垣中尉、常にぎりぎりの闘いの中、ゆったりと馬上で酒を口にしながら、騎兵の将来についても考えている好古を、人間離れしたなにものか、と思うようになりました。

戦争は日本の圧勝で終わりました。好古には、師団長の山地中将から感状が与えられています。
感状には、

「日夜非常の勉励任務に従事し、数回敵兵に出会するも毎戦これを撃退もしくは敵眼を避け、しばしば、危険をおかし深く敵営に近接し、(中略)旅順攻撃の画策をたすけ我軍の勝利を得るに大なる利益を与えたり」

とありました。

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