『天晴!な日本人』第55回 神算鬼謀の奇才、天才参謀の秋山真之 (7)
それにしても名文です。長からず、要点をピンポイントで射抜き、将兵の士気を大いに高めています。明治日本が列強には負けん、伍して行くのだ!という気概と闘志が伝わってきました。
日本は、きれいに一列縦隊の単縦陣です。日本の海軍は予算を艦船購入に費やすため、実弾訓練は十分にはできず、そのぶん操船訓練をやるのが巧みでした。これは各国の海軍軍人の間でも有名です。
然るに今の海上自衛隊は艦船の整備予算もなく、演習や訓練時間が以前の半分から6割になっているそうです。
余談ですが、この戦闘には大東亜戦争終戦時に首相だった鈴木貫太郎が、装甲巡洋艦艦長として参戦しています。
「鬼貫太郎」の異名を持つ勇敢な軍人でした。この海戦で、バルチック艦隊旗艦の『スワロフ』と『シソイ・ウェリキー』の2隻を沈めています。後に大将、昭和天皇の信頼あつき、侍従武官にもなった好人物です。
戦闘開始直前、幕僚たちは東郷に司令塔に入るように頼みますが、東郷は「自分は年をとっているから、若い者が入りなさい」と拒否します。
加藤参謀長は、参謀ら幕僚が一カ所に固まっているのは危険だからと分散させました。加藤と真之は東郷と一緒、若手は司令塔に入っています。
波が荒れて艦が揺れる中、距離は、9000、8500、8000メートルと縮まっていきました。その時、東郷の右手が挙がり、左方に一振りしたのです。
加藤は、すかさず、「取り舵一杯!」と叫びます。左に旋回です。バルチック艦隊に対して、艦の右側面を見せることになります。
これが海戦史に残った、「丁字戦法」、別名、「東郷ターン」です。
アルファベットのTの字の上が日本、下がロシアということです。この上の横棒に向いた艦が一斉に縦棒の先頭艦を狙います。
ロシアは、長官旗の揚がっている先頭の『三笠』を狙いますが、そのために隊列を崩します。実際にはTより「イ」に近い形です。
『三笠』には雨霰のごとく砲弾が降り注ぎ、あちこちが被弾し、破壊と殺傷が重なりましたが、東郷のいる場所は間一髪、無傷でした。わずか数十センチ横では、数多の被弾の痕が見られています。
最初の砲弾が飛んで来たのは2時8分でした。安全なはずの司令塔には破壊された破片が飛び込み、負傷者が続出しています。
双方の距離はどんどん縮まり、6000メートルになる間、日本の砲弾が次々にバルチック艦隊を襲っています。
波が高いので艦の揺れが大きく、命中精度の差が勝敗を分けました。真之は、後に最初の30分間で勝敗は決したと語っています。
日没まで一方的にロシアを追い詰め、真之の作戦通り、夜は水雷艇で攻撃します。結局、翌日、日本のパーフェクト勝利で終わったのです。
38隻のロシア艦隊は、ほぼ全滅し、ロシアの海軍はなくなりました。ロジェストウェンスキー中将は、重症のまま、捕虜となって、佐世保の海軍病院に入院しています。
ロシアの8隻の戦艦は撃沈6隻、捕獲2隻の完勝でした。巡洋艦、駆逐艦などを合わせると、撃沈13隻、捕獲7隻、逃走中喪失2隻、残りは逃走先で次々に武装解除されています。
ウラジオストックに逃げ込めたのは、わずか2隻でした。ロシアの戦死は4524人、捕虜6168人、日本側は沈没は小さな水雷艇3隻のみ、戦死116人、負傷570人です。
世界海戦史では、ここまでの一方的勝利はありません。ネルソン提督のトラファルガー海戦でも敵艦33隻のうち、11隻は逃げられています。この勝利は、世界の歴史を大きく変えました。
この勝利の裏には、鉄に触れると3000度の高熱を発し、強烈な爆発を起こし周囲を焼き尽くしてしまう、「下瀬火薬」と、それを実用化した「伊集院信管」という、欧米にもない、秘密兵器があったのです。この兵器がロシアの艦船を猛火で鉄クズにしたのでした。
ロシアに苦しめられてきたポーランド、フィンランド、トルコでは日本の勝利を喜び、明治天皇、東郷への賞賛の嵐でした。
これらの国では、明治天皇の写真を飾ったり、東郷の名を街の通り、子ども、商品に付ける一大ブームとなったのです。フィンランドでは、「トーゴ―ビール」「トーゴ―通り」が生まれています。
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無期懲役囚、美達大和のブックレビュー
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