『天晴!な日本人』 第105回 徳富蘇峰(3) 「飛翔する蘇峰」
蘇峰は、日本がまだ未熟な国であり、西欧列強の浸食の危機にある国として、優秀な政治家の登場を希求していました。
その政治家とは、立憲政治家でも東洋流の古い政治家でもなく、「改革政治家」でした。
単に旧習を破壊するだけではなく、また、守るだけでもないという意味です。
一八八七(明治二〇)年、大江義塾時代の塾生を社員として民友社を設立します。
この時、蘇峰の才能に注目しながらも、『将来の日本』につき、その欠陥に着目したのが中江兆民(一八四七年~一九〇一年)でした。
土佐出身で『東洋自由新聞』を創刊し、一八九〇(明治二三)年に第一回目の衆議院議員に選ばれますが、議員のモラル、レベルの低さと、党派の争いを軽蔑して辞任しています。
兆民は、ルソーの『民約論』を訳した人でもあり、『東洋のルソー』と呼ばれました。行儀の良い人ではなく、奇行も多く、奇人変人の偉人です。
袂に入れた煎った豆を齧りながら、他人の批判をするのが楽しみでした。
この人の『三酔人経綸問答』は古典の名著で、蘇峰の論の足りない部分をカバーしています。
一つのポイントとして、蘇峰だけではありませんが、日本が列強に浸食されるというのは考え過ぎである、と述べていました。
世相は初めての衆議院選挙、国会開設ということで、建設の時代でした。
そうした世情に呼応し、蘇峰は国民各自に勤勉を説き、自由で平等な競争社会の構築と、日本の発展を唱えたのです。
こうした蘇峰の思想は、それまで読了していたマコーレーの『英国史』の他に、ハーバート・スペンサーの社会進化論、ジョン・モルレー卿の『コブデン伝』など、マンチェスター学派の自由主義から多大な影響を受けていました。
スペンサー(一八二〇年~一九〇三年)は、ダーウィンの進化論をベースに、強い者ではなく、環境に適応できた生物だけが生き残る「適者生存」を援用して社会の進化を説いた人です。
『コブデン伝』は、一八四六年、イギリスの穀物法を廃止し、自由貿易を推奨したリチャード・コブデン(一八〇四年~一八六五年)の伝記で、自由貿易肯定論でした。
自由貿易は、産業競争力のある国にとって有利な交易です。
その産業が未熟、弱い時には、補助金・助成金・規制緩和などで保護しなければなりません。
明治の日本は有力な産業が少なく(せいぜい繊維産業が他国より弱いながらも頑張っていたレベル)、自由貿易には時期尚早でした。
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無期懲役囚、美達大和のブックレビュー
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