朔の話 03┃思い描いた理想
「日本酒のポテンシャル」に着目した僕は、コロナ禍における新事業を検討することにしました。
オンライン体験という潮流
コロナ禍になり始めた当時、旅行業界では「オンライン体験(zoomなどのリモートミーティングの機能を使ってその地域ならではの体験を提供する)」がはやり始めていました。ものは試しとairbnbやことバスさんがされているオンラインツアーに参加してみたりしていました。
ああ、こういう世界もあるんや、体験とはその場に行くことだけではないんや、と思いました。移動がはばかられる時代に、苗が稲になり、米が酒になるプロセスを体験としてプログラム化してオンラインで提供すれば、コロナ禍におけるビジネスになるかもしれない。その10か月、日本酒がつながっている様々な地域文化を紹介することにしよう。地域の宗教、芸能、工芸、美術など。そしてそれらはいつか、インバウンドが再開した日の「資産」になるかもしれない。そのように考えました。
苗が稲になり、米が酒になる10か月を楽しむ体験
そう考えて、お酒ができるまでの10か月、月に1回のオンライン体験を届け、最後にボトリングしたお酒を届けるという会員制のビジネスモデルを考えました。
地域については「播磨」だと決めていました。それは、「酒蔵は地域の文化と経済のハブである」というコンセプトを教えてくれた富久錦さんが、播磨地域にあるからです。富久錦さんがある兵庫県加西市のとなり、加東市の酒米は「特A地区」と呼ばれる地域を擁する、著名な酒米の産地です。でも、富久錦さんは地元の加西市のお米だけを使っておられます。その理由を聞くと、社長の稲岡さんが「酒蔵がよその地域の米を使ったら、地域の農家が困るでしょ」とおっしゃっていました。「僕たちは、地域の農家さんと共同で、最高の酒を目指してるんです」とも。富久錦さんは、1987年に日本で初めて「純米酒の酒だけをつくる」と宣言した酒蔵であり、1996年には「全製品の地米化(加西市の酒米のみを使用)」を実現されました。グローバル経済の対極。
協力してもらう農家さんは、藤本圭一朗さん。コロナが来る直前、兵庫県さんが主催するイベントで知り合いました。農家さんには珍しく、ビシッと三つ揃えのスーツを着ておられ、ご自身の目指す農家の姿を書類にまとめておられました。会場で異彩を放っていました。「何か新しいことをやってやろう」という気概を感じる人でした。稲岡さんに聞くと、藤本さんの酒米も仕入れているということでした。これで藤本さんの米を、稲岡さんに酒にしてもらい、それを売ることができる。運命だと感じました。
そう考えて、企画書をつくり、周囲の人にアイデアを説明してまわりました。
しかし、反応は鈍いものでした。かなり。