くすとじぞうときつね
物語をさがして vol.10
以前の取材(vol.08田島征三アートの冒険展へ)で刈谷市美術館へ向かう途中、県道57号線を通って豊明市に入ったところで、懐かしい風景に出会いました。豊明消防署向いに広がる田んぼの中にどんと生えている一本のクスノキ。
学生の頃にこの近くに住んでいたので、家庭教師のアルバイトに行く途中、スクーターでこの横をしょっちゅう通り過ぎていました。あれからもう30年近く経っているというのに、ぜんぜん変わらないこの風景にびっくり。近くにドライブスルーのカフェができてはいましたが、そのほかの雰囲気はまったく変わりません。木の根元には地蔵堂が見えるのですが、今まで通り過ぎるばかりで、そういえば一度も近づいて見たことはありませんでした・・・
今回はこのクスノキのまわりの物語をさがしに行ってみたいと思います。
青木地蔵のこと
このクスノキの根元に居るお地蔵さんは、青木地蔵と呼ばれていて、とても古い地蔵なのだそうです。
『愛知県伝説集』「青木地蔵」の項にはこう書かれています。
ただ、豊明市の案内看板によると、以前ここにあった地蔵は大正6年に近くの別の場所に移され、こちらは代替の地蔵であるとのこと。代替とはいえ、大正6年からはもう106年経過しているのでこちらも相当年季の入ったお地蔵様と言えるでしょう。
その、元の古いお地蔵様もちゃんと現存しています。市の指定有形文化財として、新しいお堂で大事にお祀りされていました。
頭部がなくなって、ずいぶん小さい姿になってしまっています。立札によると、台石の「仁治二」の文字も今は見えなくなってしまっているそうですが、1241年生まれだとすると781才のお地蔵様!
この青木地蔵は江戸時代の『尾張名所図会』に、名所として描かれています。
図会中には「青木ぢざう(じぞう)」として、大木とお地蔵さんが描かれているのが見えます。名所図会の刊行は1844年ですから、この時のお地蔵さんはすでに600才。
描かれているのは現存のこのクスノキらしいのですが、ほんとうにほんとうなのでしょうか。100年前も、30年前も、今も、同じ木がここに同じように立っているのでしょうか。にわかには信じられず、時間の流れがここだけ他から取り残されているような不思議な気持ちになってしまいました。
「青木地蔵」の「青木」はこの辺りの地名ではないので、人名でなければクスノキそのもののことを指しているかもしれません。辞書には常緑の木のことを指す意味もありますから。
十三塚の狐
『尾張名所図会』には同じページに「十三塚」が描かれており、ここにも民話があります。
十三塚に住んでいたという狐の話です。名所図会上の塚を緑色に塗ってみました。塚は、土が高く盛られた墓のような場所のことです。
なるほど、たくさんの塚があります。
十三塚は地名、交差点名としては残っていますが、塚そのものは現存していません。狐塚の隣にある石碑「十三塚の碑」にその詳細と下記のようないきさつが書いてありました。
※経塚・・・お経を埋めた塚
十三塚を里人はよく保存していたというものの、何の塚だったのかがはっきりわからなかったということです。不思議なものです。恐れ多くただならぬ雰囲気があったのだろうかと想像されます。
その後、昭和46年の土地改良事業の為にいよいよこの塚を取り払うことになり、この碑が建ったことが分かります。
開発以前の十三塚はこんな姿だったと分かるよい石碑です。そうして周りを見渡して見ると、県道57号を突っ切っていく鎌倉街道が見えるような気がしてしまいます。
ところで大久手八幡社の石碑が石の色や光の反射、古び具合からとても読みづらくて、読み切るのに時間がかかってしまいましたが、謎の石板の文字を解読する、映画「インディ・ジョーンズ」の博士気分で面白かったです。
冒険の果てにキラキラした宝物はないですが、過去から今につながる道をひそかに見つけることができたように思いました。
塚はもう見当たりませんが、田畑や草原を見ていると鎌倉街道が見えるような気がします。当時の光景を思い浮かべ、こままんがを描いてみました。