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すべてはひとつ。

ミナミエーアシュタールの言う「絶対無限の存在ぜったいむげんのそんざい」。

仏教で言う「」とか「くう」の観念。

あと「創造主」とか「ワンネス」。


これらは、おそらく、言い方が違うだけで、すべて同じモノを説明していると思う。

なるべく解りやすく、一言で言えば、「全ては一つすべてはひとつ


ボクの理解出来た解釈で、ちょっと言葉にしてみたい。


宇宙のはじまりは、無から突然、意識が生まれた。

それが、絶対無限の存在ぜったいむげんのそんざい

絶対無限の存在は、「私は何者?」って事を知るために、色々な経験をしたくて、太陽や地球や物質や動植物、この世のあらゆるものになった。

だから、地球テラや物質にも、意識や感情がある。


絶対的無限の存在については、以下の動画がわかりやすい。
超次元ライブ21

この宇宙にある全てのものは、絶対無限の存在ぜったいむげんのそんざいという、「一つの意識」から分かれて、(言わば、分身として)さまざまな個性として色んな経験をして、また絶対無限の存在ぜったいむげんのそんざいに戻る。

だから、すべては同じ意識。「全ては一つすべてはひとつ




そして、絶対無限の存在ぜったいむげんのそんざいは、「境界の無い世界」(すべては一つだから)


前に紹介した、飲茶さんの本では、この境界の無い世界のことを、
無分別むぶんべつ 」と表現していた。

そして、無とか空とかを理解するには、
分別しないで直感でしか理解できないんだって。

そして、「理解できた=悟り」



では逆に、今度は「分別ある世界」を考えてみる。

こちらは簡単。普段のボク達の世界。
善と悪、陰と陽、光と影、上と下、自分と他人、など
どこかに境界線をつくり、分別する世界のこと。


ボク達は分身であり、本体は絶対無限の存在である。

ボク達は境界線のある世界に慣れてしまっているけれど、
ホントウの世界は「境界のない世界」なのかもしれない。


分別(境界をつくり区別する)はボク達が勝手にしていることであり、これらは全て、ただの思い込み(勘違い)なのだ。

善悪なんて本当は無い。
善悪なんてボク達のただの思い込み(勘違い)。

善を創るから悪が生まれる。ホントウはそんなモノ無いのに・・・

だって、すべては一つなんだから・・・


とはいえ、ボク達は、分別ある思い込みの世界で生きている。

だから、これらを知った上で
何を信じる(思い込む)かも自分が好きに決めればいい。


平和が好きな人もいるし、争いが好きな人もいる。
我慢をしない人もいれば、我慢をする人もいる。
〇を選ぶ人もいれば、△を選ぶ人もいる。


全ては、絶対無限の存在が「私は何者?」を知る為の経験だから。



この事を知ると、他人に干渉しなくなる。

そして、今までは許せなかった
あらゆるすべてを許すことが出来る。


他人も自分と同じ意識なんだし
みんなそれぞれが「私は何者?」を
知る為の経験をしているのだから。

みんな同じ事をしたら、「私は何者?」
を知ることが出来ない。

むしろ、ボクにとって
嫌な経験を引き受けてくれているのだと思えば
怒るどころか、感謝しなければならない。


そうは言っても、たまにこのことを忘れてしまう・・・


この世界はただの思い込みだ。

この事を知ったなら
自ら、辛く苦しい思い込みを
わざわざする事はない。


どうせ思い込むなら、楽しく面白い方がいい。
楽~らくぅ~に、軽~くかるぅ~く生きていこう。


すべては一つ。

すべてが自分で、自分はすべて。


おわり⸜( •ᴗ• )⸝


☆投稿ボタンを押してから思いついたので追記☆

亡くなった人を、「星になった」という表現・・・

もしかしたら、昔の人はこの事を知っていて、
くうにかえる」を「そらにかえる」
と読み替えて、星になると表現したのでは・・・?

なんてね~(˃ᗜ˂*)

ありがとう(人´∀`*)