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おかあさん、そのキス、お子さんが嫌がってませんか?

私の母は、常識の範囲内で若干スキンシップが多い方の人かなと思う。

おそらく小学校中学年か高学年の頃まで、「行ってきます」のキスを玄関ですることを毎日求められていた。

ふと、最後の頃にはその習慣が嫌だったことを思い出した。というより、その時の自分は「嫌だったんだ」という認識をやっとちゃんとしてあげることができた。

嫌というか、なんとなくちょっと気持ち悪いな、とかあんまりしたくないな、とかそんな気持ち。

でも、母はそれを断ったらなんというか拗ねたりがっかりしたりしょんぼりしたりするような気がして、その場合の対応が面倒で、しないのもかわいそうで、断った場合弁解する時間も満足に無いような朝の忙しい時間に一瞬我慢すれば済むことだから、してあげてた。


行動で愛情の量を測る人は結構多い、というか現代日本では大多数がそうなのではないかと思う。

恋人と手を繋ぐか、キスやセックスをしてくれるか、連絡をこまめに取ってくれるか。

でも、それって、本当に適切な尺度なんだろうか?

親しい相手に身体接触をどこまで許せるか、というのは実のところ人それぞれだ。そもそもそういう場面では適切な方法で性的同意を得る必要があるし、アセクシャルの人だっている。

上記の例はどこから生えてきたのかよくわからない謎の「カップルならするべき行動の共通認識」に過ぎないわけであって、誰もがそれに従う必要性はないし、何か強要する時に使われがちな「みんな(普通)そうだから」という言葉は何の理由付けにも免罪符にもならない。

個々人の嫌だ、と感じるラインに応じて、それぞれのカップルに適した、無理をしない関係性がつくられていくべきだと私は思う。何より、私たちには言葉がある。せっかく言語という素晴らしいコミュニケーション方法も持っているのに、何も行動だけで示す必要はないんじゃないか。


話を元に戻す。

これって、親子関係でも、同じこと言えるよな?

親が子にするスキンシップでの愛情表現は、「かわいいから」などといった理由で説明される。うんそりゃまあ自分の子だもんね。かわいいのはかわいいし愛してるよね、大好きだよね、ついついしたくなっちゃうよね、わかるよ。

いやでもさあ、愛情の一方的な押し付けってそれ場合によっては「暴力」だよね。

特に親子関係においては、親がそういう直接的な愛情表現をしがちな時期に、子供は年齢的に言語表現や感情表現が成熟しておらず、自分の意思表示をすることが難しい。実際私だってやっとちゃんと自分の「嫌だった」という気持ちを可視化して認めてあげられたところだ。現在しがない大学生です。

また、恋愛関係と違って親子関係はそう簡単に破棄できるものでも、選べるものでもなく、一生続くものだ。(結婚は一生続く側面もあるが、選択はできているし、離婚という選択肢もある。)

そして、大前提として子供は親の庇護無しには生きていけない。依存している。これはどうしようもない。生命線だ。逃げ出したとして行くところもない。故に、嫌でもなんでも良好な関係性を築くことにエネルギーを注ぐ子供も居る。絶対的な権力構造がそこにはある。

それ、「嫌だ」って言えてないだけで、嫌がってる可能性、あるよね?

愛情はなんの免罪符にもならない。「かわいいからいいでしょ」と言ったってそこに子供の意思はきちんと介在しているのか?親のエゴではないか?暴力かもしれないことに、そんな言い訳を適用できますか?

親子だとしても、恋人だとしても、自分の身体は自分の物だし、嫌なものは嫌だと言っていい。むしろ勇気を出して積極的に言うといい。自分の身と心の健康と豊かな暮らしを守ることになる。

もちろん嫌だと表明する側にだけエネルギーを割かせるわけにはいかない。人々が嫌な時に嫌だと言いやすいようにするべきだし、いちいち相手の意思を確認するべきだし、そもそも何が「嫌」という感情なのか、どういう場合なら拒否するべき/躊躇なく拒否してもいいのか、といったところから認識を広めていく必要があるだろう。

私の母も、痺れた足を触ってくるようなちょっとした悪戯をしてくる時に、私が真剣に「やめて」と言うと、「えーん怒ったー(笑)(しょぼん)」みたいな反応をしてくるので、怒ってないのに全くわかってもらえないなーとずっと思っている。「やめてほしい」は怒りや嫌いな感情の表れではなく、単にやめてほしいだけで、それ以上も以下もない。まあやめてくれるからいいけど、反応がなあ、、

性的同意の話でもそうだが、なんらかの行為を拒否することは、=嫌いという意味では一切ない。

母が、その辺の認識がきちんとありそうな人間だったら、私も当時母に「もうあんまりしたくないんだ」と正直に言えていたことだろう。


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