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ミタラシ -物事の本質-
私は小さい時からいつも「ニコニコしてて可愛いね!」と言われていました。それが嬉しくて、多少の我慢をしてでもニコニコしている子供でした。比較的そのまま成長しましたが、30代半ば位からだんだん辛くなってきて、自分の本性を現し始めたんです。そうすると家族は驚くし、それを意外と受け入れてくれないことにも気づきました。ただ30年以上、ある意味そういう『テクニック」で生きてきた私は、自分で言うのも変な話ですが、コミニケーション能力は高いと思っています。
私が小さい頃、通園、入所施設、養護学校(現・特別支援学校))で、関わってくれた先生方は明るい先生も多かったと思います。だから私自身、多少のきつい冗談も受け入れられるし、受け入れてくれる先生方や友達も多かったです。ただ、身体障害がある人間として生きていく上で私が一番気にしている事は、まず自嘲はしないこと。それから堂々と生きること。障害者が自嘲するとが周りがすごくリアクションに困りますよね。例として出していいのか分かりませんが、私は乙武さんが「もう手も足も出ません。でも僕は手も足もないけどね・・・。」みたいな語り口を全く面白くないと思っていて、言われた相手、特に健常者の人たちは反応に困るだろうなぁと思います。そういう事は私も言いたくないし、私は自分に自信を持って生きているつもりです。
まぁ、でもある程度の冗談を言う機会はあるし、健常者の友達の間では「毒舌ミタラシ」で受け入れられています。そのノリで場を和ませたい一心で友達の前のように振る舞ってしまうと、時々、私の冗談がブラックすぎるのかひかれることもあります。そこら辺が現代の人達は、善悪はっきりさせたいみたいな風潮の表れだなぁと思っていて、「私みたいな立場でそんなこと言っちゃいけませんか?」と思う位のリアクションをされる時があって、ちょっとそこにくじけそうになる時があります。その原因を考えたときに、現代人は「カテゴライズしたい気持ち」がちょっとずつ強くなってきてるのかなあとは感じます。「分類」の観点においては昔からある風潮だと思うのですが、私達が小さい頃の福祉に関わる方々は、意外とそれをしてきませんでした。多分それが彼らの「心の中に秘めた理想」だったからで、でも時代が流れて、社会や学校現場の中では「カテゴライズはやめましょうよー」って公には言いながら、結局そこに関わっている人たちが「カテゴライズしたがってる」んじゃないかなぁって感じることが多くなりました。
現在、すっかり大人になってしまった私が過去にどういう環境で、療育、リハビリ、学習をしてきたか、どういう人生を送ってきたか、そういうことよりも受給者証の区分に基づく障害者としてしか見られてないんだなと感じることが増えて、やっぱり悲しい気持ちになることが多いです。障害者本人や親が『私達は「普通」じゃないから』というニュアンスで「普通」って言葉を使うと、「普通ってなんですか?」って言われる。『そんなこと言うけど、あなたたちのほうが私のことを「普通」と思ってないですよね?』って障害者側はやっぱり思ってしまうんですよ。「普通」があるなら、「普通以上」も「普通以下」もあるんだけど、やっぱり障害者は「普通以下」って思われているんでしょう?って感じることが本当に増えてきました。ただ、障害者側も「障害ありますけど、何か?」っていうスタンスの人も増えてきたのかなぁと思います。逆に40年前は『ウチの子、「普通」じゃないですよね?分かってますよー分かってますけど意外とこんなことはできるんですー』ってそこをなんとかこっちが相手に理解してもらう努力をして、相手の不安を打ち砕いて健常者の中に自然と入っていって、理解してもらうことしかできなかったかなぁと思います。
でも今は、「うちに入ってきていいですよ。受け入れますよ。」って言われて入ってみたら話が違ったなんてこともあったりします。日本をよくしてきた人の中には、もう少し物事の「本質」に目を向けられる大人がたくさんいたはずです。逆に言うと、だからこそ40代以上の障害者は今の子供さん達に比べると「つらい」「苦しい」「ままならない」思いをしてきた人たちをたくさん見てきました。ある意味、「明らかな差別」をしてくる「力を持った人」がたくさんいたから。でも今は物事の「本質」に目を背ける人たちが多い社会で、社会的弱者にとって「本当に優しい社会」なのかとすごく疑問を持っています。
世間でもネットでも他人のことに口出ししたい人も多いし、そんな事してる時間あったら、本の一冊でも読めばいいのになと私は思います。(そういう私も最近めっきり読書していません。ゴメンナサイ(>_<))あっ、結局何が言いたいかというと、みんな「善者」と「アドバイザー」になりたがりすぎ。今日、書いたことは、私の経験も含めてまた改めて、書こうと思っています。