「父について」
私は父と暮らしたことがほとんどありません。
物心ついた時から、父は単身赴任をしていて、「お父さん」というものは「週末しかいない人」という認識でした。
(だから友達の家には毎日お父さんがいるのが不思議だった)
父と一緒に暮らした期間が2回だけあります。
1回目は、まだ札幌に住んでいた時。父は東京に単身赴任していました。
私が超反抗期で高校でちょっとした問題を起こし、母親と大ゲンカをしました。
私は家にいるのが嫌で嫌で。ずっと家をでて知らない町で暮らしたいと思っていました。
北海道を出れば自由に出来ると思い、誰もいない町、大阪の大学に行こうと考えてました。
私はやりたいことが親にしっかりと言えない人間で、初めて全てを打ち明けた冬、母親と大ゲンカになりました。
その時所属していたチアリーダー部の部ジャーだったプーマの赤ジャージを着て、極寒の中ススキノまで歩いて行き、風俗紹介店のおじさんに「働かせてください」と言いました。
おじさんに「高校生は働かせられない」と言われ、どうしようもなくなった私は「家に帰りたい。絶対返すので1000円貸してください」と言いました。
本当に困った娘です。困ったおじさんは親切にも1000円を貸してくれました。(いまだに私は返せていませんし、そのお店がどこだったのかも記憶してません。おじさん、見てたら連絡ください🙇♀️)
親切なススキノのおじさんに1000円をもらい、私は無事家に帰ってきましたが、そこから母親とは絶交状態でした。
当時、私は関東の大学を志望していたのですが、一人で知らない街に行かせるのは危険と判断され、先生とも相談して、父がいる東京の大学を志望することになりました。
東京の大学を受験するため、受験中の1ヶ月以上の間、東京の父の家に住み込むことになりました。
それが初めて父親と暮らした日々でした。
札幌から東京に行くのが急遽だったため、亀戸のドンキホーテに父と下着を買いに行きました。
世間一般の「お父さん」という存在は、「嫌われ者」ということに後から知って、びっくりしました。
一緒に洗濯するのが嫌だ。裸を見られるのが嫌だ。「お父さんに対する反抗期」が全くなかったんです。
私にとってお父さんは良くも悪くも「害がないもの」(よく知らない人)だけど「好きな人」だったんですね。だからずっとお父さんが「理想の男性」だったのかもしれません。
そんな存在だったから、下着をお父さんの前で選ぶのも、ほとんど恥じらいはありませんでした。(お父さんはどう思ってたんだろう、、、)
そこから1ヶ月以上、2人で東京で暮らしていたと思います。
お父さんは本当に真面目で良い人でした。スーパー銭湯に連れて行ってくれました。
そこで2人で初めてしっかりと会話をしました。
その時初めてお父さんを人間として、一人の男性として、「お父さん」としての人格を見ました。お父さんは仕事の話は家で全くしませんでした。しないようにしていたそうです。(私がしっかり話したことがないからそう思ってたんだけど)何も考えていないようにみえて、しっかりと家庭のこと、家族のこと、仕事の事、お母さんのことを、考えてていました。
母と大喧嘩した時に、母が「お父さんと一緒にいないから、お母さんだけだからダメだったの?」と言うようなことを口にしたことを思い出しました。私はそんなことない!関係ない!と思いましたが、そんなふうに大人も、親も悩んで育ててくれていたんだなってことを初めて実感しました。
それが、初めてお父さんと暮らした日々でした。
ごはんもほとんどパンやレトルト、外食だったように記憶してますが、ワンルームでとても良くしてもらいました。新鮮でした。高校3年生のことです。
それから無事、東京の大学に入学することが決まり、父と、ちょうど東京で就職することになった姉と、3人暮らしがはじまりました。
これが父との2回目の生活です。
高3の時、父との東京暮らしでたくさんの発見があり、その頃は母親と仲直りすることができていました。
父、姉、私、3人暮らしも新鮮でした。
姉は大学から山形に行っており、父は物心ついた時から転々としておりました。私も自立心がついてから2人と一緒に過ごすのが初めてです。
姉はとてもしっかりしていましたし、厳しかったです。(なんでこんなにしっかりしてるか不思議。長女だから?)
お父さんは、元々無口なほうだったので、3人暮らしの中ではそれほど話すほうではありませんでした。(一人でテレビみてるし、一人でパチンコいくし)
そういえば、父の趣味はパチンコとゴルフですが、東京で3人暮らししていた時は、パチンコもゴルフも行ってるイメージがありませんでした。なるべく家にいようと気を遣っていたのでしょうか。
東京の家は、とても狭かったです。壁も薄かったです。お風呂も汚かったです。バイトもするなと言われていたのでお金がなかったです。私は東京が嫌いになりました。
ここでもう一つお話したいのが、「お金」についてです。私はお金にそこまで執着がありません。それは、たぶん、本当にお金に困ったことがなかったからだと思います。
東京に住んで、生活レベルは下がりましたが、「実家」にはお金がありました。芸能に携わるようになり、貧乏な生活をするようにはなりましたが、それはそもそも基準が違っていたのかもしれない、と今になって思います。
大人になってから、いろいろな人と会いました。「お金」に執着している人は、幼少期に「お金」に困っていた人が多いのかな、と思うことがあります。それがいい悪いではなく、たまに感じる違和感はその部分の違いかなと気づいてきました。
いい悪いではない、と言いましたが、どちらかというと「悪い」のかもしれません。だって、お金に執着してたら、もっと自分が気持ちいい生活ぎ出来てたと思うし、もっと向上心が湧いていたと思うから。私が「良い」と思う部分は、お金だけで判断しないところ、信念を貫けるところ、だと思います。
話はそれましたが、私と父が一緒に暮らした2回。それからは、帰省したり、家族旅行にいったり、その時に一緒に飲んだり、それくらいの中です。
私の中で「お父さん」は未だに「脅威」であり、「謎」であり、「ビジネスマン」でした。
私の家族は、家族旅行をよくします。北海道から東京へもよく遊びに来てくれます。そんな中で、「会社を作りたい」「ラーメン屋を作りたい」。私の中ではとても決意がある相談。「お金を借りたい」そんな話をしました。今まで、芸能の仕事でお金に困っても、絶対に借りませんでした。それは自分の決意で、親に頼らないでやっていく!という気持ちがあったからです。
そんな中、私は前より大人になったし(自分が辛くて親が苦しむくらいなら親を頼れとか)いろいろなことを考えれるようになった。
それに、今は「歌の仕事がしたい」と宣言し、「さいたまスーパーアリーナ」や「日本武道館」にも立つことができた。
そんな実績があるから私ははっきりと言うことができた。
「お金を貸してください」
絶対に成功させるから。
この資金をもっと大きくして返すから。
答えは「NO」だ。
そんなことわかっていた。
私が何か行動を起こそうとすると「NO」という人たちだ。いつも邪魔をする。
でもそれはちがう。親というのはそういうものだ。心配だから。なるべく平穏な道を歩んでほしいから。1番の優しさなんだ。それが今はわかるから、精一杯説得させようと、私はまず、親に向けての事業計画書を作っていた。お金を借りるんだから当然だ。
でも、そこで、唯一賛成してくれた人がいた。
それが「父親」だった。
今までこれといった意見も言わず(何を考えているかわからない)、主張せず、家族の調和を保ってきた(ようにみえる)父親が、はじめて。
「いいじゃないか。お金を貸そう」
と言ってくれたのだ。
私はそこで、「この人は話がわかる。さすがビジネスマン✌️」と思いました!笑
その時父はすでに早期退職していました。それで肩の力が抜けて、話しやすくなってたのかもしれない。
もちろん母親は反対していたけど、それも当然のことで。私も子供がいたらそんな危険なことしないで、正社員になって早く若くて綺麗なうちに結婚しなさいって多分思うもん😔笑
でもそこで賛成してくれたのが嬉しくて!嬉しくて、というか、びっくりして!!!びっくりした!!!賛成してくれる人、いるんだ!!!と思って!!経験上、誰からも賛成されないと思ってたから!!!
なんで賛成してくれたのか、ちゃんと聞いてないからわからないんだけど。
それでも背中を押してくれたのは、本当に嬉しいし、お父さんのことが改めて大好きになった❗️
もうお父さんは60歳オーバーで、働けるか心配なんだけど、結婚もしてない私の新たな第一歩を見せてたげれたらなって思います😆
t.livepocket.jp/e/mazecafe
p.s.バージンロード作る???笑
今回、開店作業手伝うよ!と言ってくれたのは父の方からでした!
私は、このような背景があったため、正直とまどいはありました。笑
(早期退職してるから暇なのはると思うけどw)
お父さんが働いてるところ、みたことないし😳(失礼)それでも家族を養ってくれていたこと、本当に尊敬します!
反抗期が長かったため、沢山ご心配おかけしましたが、今は大きな味方がいると思えてすごく心強いです!
本当に感謝してます!!
ありがとうございます!お父さん大好きです!
(直接なんて絶対言えない🤤)
そして父と暮らす(?)3回目が今回になりそうなので、楽しみ&ドキドキです、、🤤
🍥れみ🍥
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