壁とは。|写真展壁 ・ PIXEL展を終えて
三谷です。
先日、写真展壁とPIXEL展が閉幕しました。
僕はありがたいことに双方に参加し、それぞれ広い壁の中で好きなように展示させていただきました。多くの方にご高覧とコメントを頂戴し、改善点はあっても後悔はないような気持ちです。
ただ、いざ現場で皆さんの展示を拝見して、振り返りの発信を見て、あることを考えたんです。
ふざけたように書いてしまいましたが、想いを持って真剣に取り組んだものの、展示の主題でもあり皆さんが掲げられるような「〇〇の壁」というテーマを、僕は当日になってもまだ言語化できていなかったのです。(正確には、当初考えたけど上手く言語化できず、そのままになっていました。)
そんなどうしようもない男 a.k.a 三谷ですが、展示から数日を経てのコミュニケーションや整理、そしてある単語との出会いにより、今更ですがテーマをようやく言語化することができました。
こちらのnoteでは、それぞれの展示の経緯や振り返りと、テーマについてお話しします。時系列的には4ヶ月分ですが必要な工程なので、サクッと読める文量で頑張りますね。
僕にとっての「写真展壁」の始まり
2023年4月末に開催された本展示ですが、運営チームが発足されたのが2022年12月末のこと。実は準備期間は4ヶ月と短い期間でした。(同日開催されていたサンキュールデコ展については後ほど触れますが、あれのスピード感は比較対象にしないでください笑)
運営チームに入っていた僕ですが、2月にインドへ行ったこともあり実質的に運営業務に携われたのは前半の短い期間だったように思います。実は、壁展のステートメントを作ったのは僕です。
この展示の話が出た頃から「壁展では写真と散文を組み合わせた展示をする」と考えていました。
ただ、この段階で「〇〇の壁」と一言で表すことが難しく、一度置いています。当時は「心象の壁」「言葉の壁」「部屋の壁」など考えていましたが、どれもフィットしなかったのです。
「PIXEL展」に向けたインドの旅
2023年2月に、2週間ほどインドへ行ってきました。
枠が限られているPIXEL展に僕が参加できた理由は、別所さんと会話する度に「いや〜僕インド行くんですよね〜、や〜、 pixelで良いスナップいっぱい撮ってくるんやけどな〜」と囁きまくったからに他なりません。
ゴリゴリの関西弁による脅しで手ブレ不可避なほど震えが止まらない僕でしたが、Google pixelのPhoto Unblur(AIがブレ等を補整する機能)もあって、トゥクトゥクから眺めたインドのリアルな街を撮影することができました。
本当はこのトゥクトゥクスナップを壁に整列させてメイン展示とするつもりでしたが、滞在期間中にpixelで撮影した写真が予想以上の写りで、帰国してから良い意味で頭を抱えることになります。
帰国、写真の整理と心の整理
帰国してからは年度末も相まって公私共にグチャグチャとしながら、写真の整理と散文の制作をしていました。
写真展壁の準備
壁展については散文が主体のため、散文に合う写真をセレクトした結果どれも2年ほど前に撮影した写真になったことは、やはり写真は過去からの手紙なのだなと改めて感じた出来事でした。
この2年は仕事の変化や生活の変化、愛犬との別れに恋人との別れに友人との別れ、達成できたことや運良く得られた物事など、良いも悪いもひっくるめて色々あって、それらのおかげで今の僕が生かされています。
それらを思い浮かべながら、今の気持ちに合う写真や文字を並べました。
同世代で最も尊敬する写真家であり友人の高野ぴえろ君にも相談に乗ってもらい、いくつかの思考の結果、最終的なレイアウトが決定。しかし、この段階でまだテーマを言語化することはできていませんでした。
PIXEL展の準備
帰国してからpixelで撮影したデータを整理していると、カメラで撮影したものよりも綺麗に(解像感や色の載り方がイメージ通りに)写っている写真がいくつかありました。
それはスナップ的な要素もありますが、情報的には風景写真に近い絵の写真のように思います。
それらのデータを見たときに、大きなプリントに挑戦したくなりました。「インドの街スナップ」というアドバンテージをそのままに展示した方が、錚々たる面々の中でいくらか目立ったかもしれませんし、実際そうだったとは思います。が、あの機会の中で大きなプリントで綺麗な写真を展示することが、自分にとっての価値になると感じました。
そして、それが何故か、ここでもまた言語化はできていませんでした。
「壁」に至る
前置きが長くなっていますが、もう少しだけ。
ここからは展示在廊のために東京へ行き、現地に立ってからの感想や振り返りと、最後に言語化できたテーマについてお話しします。
なぜ大阪から泊まりで在廊に参加したのか
「見にきてくれる人に会いたかった」「コミュニティのメンバーに会いたかった」「自分の展示物をちゃんと見たかった」という気持ちが強くありました。
普段強く意識することは無かったのですが、デジタルでのやり取りが当たり前になった(また、それにさして抵抗も無い)現在。良く言えば「距離の壁」が無くなり、容易にコミュニケーションが取れる時代になりました。
しかし、コスパ・タイパという発想が浸透することにより「体験」が省かれた現代では、感動や思い出が薄れていったような感覚も持ち合わせています。
この気持ちが強かったように思います。そこにメリデメの気持ちはありません。
サンキュールデコ展
同日に開催されていたサンキュールデコ展。ケンタさんにお会いしたときに「2~3週間で実現した」と仰っていたように記憶しています。これは恐ろしいスピード感です。
これは、ケンタさんがこれまでに展示に力を入れて、いくつもの展示を成功させてきた結果の経験や人脈があるからこそ成し得たことだと思います。作品というより、「一つの催し事」として感動しました。
PIXEL展
誰もが揃えて「これがスマホの写真か」と声にするような作品が並んでいたPIXEL展。出展者全員が同じカメラを使っているため、展示の差は「技術と経験と魅せ方」に起因します。そういう意味でもそれぞれの出展者の個性が出ており、ここで展示できたことが喜びと糧になる空間でした。
なぜPIXELは大きなプリントで挑戦したくなったのだろう。その解は、撮影体験にあったように思います。
PIXELで写真を撮るとき、多くの場合難しいことは考えていませんでした。だからこそ、異国での旅を本質的に体験することができた。「それでもこんなに綺麗な写真が撮れた。」というのは、写真を生業にしていながら驚いたものです。
ちなみに、トゥクトゥクスナップはブックにしました。
道具で悩んだ過去があるからこそ、pixelでの撮影体験、そしてこの面々での展示の機会は、良い経験になりました。
写真展壁
「あったけぇ…。」
そう感じた展示でした。どの写真もあったかい。そしてみんな良い人やった。シンプルに。これって素晴らしいことやと思う。
という話を在廊メンバーで話すような、そしてご来場いただいた方々からも同様のお声をいただけるような空間でした。
「この写真を撮影して、展示するまでの過程」に思いを馳せると、どの展示物にも愛を感じました。
個人的な話をすると、各階の在廊人数や展示の「見てもらい方」などを踏まえ、僕は多くをPIXEL展フロア(5F)で過ごしていました。それでもわざわざ壁展(3F)からこっちまで戻ってきてコメントをくれたり、会話をしてくれる人までいました。
多くの、そして古くからの友人が足を運んでくれました。落ち込んでいる時に支えになった友人も来てくれました。
Chapter2
少し場面が変わって、帰阪してからは大阪で開催されているこちらの展示へ。
「展示」や「作品」に対する様々な想いを抱きつつ、藪さんに「ご自身の作品に、ご自身は写っているか」という旨の質問をしたところ、藪さんからは「作品としての価値に自分の存在は不要」という旨の答えをいただきました。
僕の「壁」
様々な展示を経て、作家と会話して、フォトグラファーと会話して、写真好きと会話して、友人や仲間と会話して、想いを読んで、物を見て、少し落ち着いたタイミングで自身について考えてみました。
僕が「文章」ではなく「散文」と言っているのは、「それが詩なのか、日記なのか、手紙なのか、歌詞なのか、コラムなのか、定型のない文章」だからです。そしてそれは、僕の等身大でもあり、僕の経験と視野からしか生まれません。
同様に、写真家やフォトグラファーの皆様が生み出すそれぞれの写真・作品にはそれぞれの背景があって、そこに価値があると僕は感じています。
そこに至るまでのそれぞれの道程に、価値を感じます。
そんなことを考えながら辞書を流し見していた時に、ある言葉が目に止まりました。
ここで僕は一度原点に戻り、「単語の意味」について調べてみます。
当たり前のように一部と化して見落としていた「文(”ぶん”、もしくは”あや”)」という単語が持つ意味に、「脈」という単語が持つ生命のリアリティと希望に、それらが合わさった「文脈」という言葉に、自身の考えと重なる物を感じました。
自身が抱く琴線の行方、自身が編み出し他者が邂逅する感動、自身が他者から感じる感動、それらはいずれかの作家が生み出した作品、そこに至るまでの「文脈」から成るものでした。
僕の壁は「文脈」。この壁は僕にとって、壊すものでも乗り越えるものでもなく、寄りかかり、向き合い続けるもの。そしてそれは、展示の準備の中で整理し、抱えていた「これまでに別れてきたもの」「与え、与えられたもの」と同じなのです。
で、いろいろ巡って辿り着いたこの答え、展示の運営活動いっっっっちばん初めに作ったステートメントで似たような視点のこと言ってるんですよね。
気づいていなかった、いや、言葉にできていなかっただけで「僕の僕たらしめる何か」はずっとそこにあったみたいです。
写真展壁、pixel展にご来場いただいた皆様、携わった皆様、ありがとうございました。