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合同展「It will Be展」の振り返りと、新しい目標の話

7月の頭に合同展「It will Be展」を開催しました。老若男女、全国から集った総勢約40名の展示です。

フライヤー(表)
裏には僕の写真が載りました

記憶が薄れてしまう前に、感じたことや嬉しかったこと、これからのことについて、簡単かつ主観的に残しておきたいと思います。

なによりの収穫

これ以降、自分語り的に展示の感想が並んでいくので初めに書いておくと、今回の展示におけるなによりの収穫は、コミュニティに関わらず一緒に展示したメンバー達と仲良くなれたことだと思います。

思い返すとほとんど写真の話はしていなかったように思うけど、年下の子達とも、年上の先輩達とも、押し並べて仲良くなれたこの数日間は本当に楽しかった。

皆さん、ありがとうございました。今後とも宜しく。

photo by @yukkey.inc

リアルな場でしか味わえない喜び。
SNSから受ける恩恵。

ここからは、展示の個人的な振り返りと感想です。

今回の展示でまず印象に残っていることは、本当に多くの人と「会話した」ことです。

そこには、「たくさんの人に囲まれて褒めてもらった数的な喜び」と、「表現者の立場にいる方々から個人的にお言葉をいただいた質的な喜び」があります。

今回、私は「散文写真」と称している、文章と写真を組み合わせた作品を展示しました。

「わかりやすいもの」から「わかりにくいもの」まで、計12点の散文写真を展示し、ご高覧いただいた皆様それぞれの感想や意見をいただけたことは、本当に実りのある時間だったと思います。

こうした、「実際に会話して、作品の感想を熱を持って受け取れる喜び」は、やはりリアルな場での展示ならではの魅力でしょう。

そして、会話をした数名の方から「SNSで見てます」という声を頂戴し、逆に僕がSNSで知ってる人がわざわざ足を運ばれた場面もありました。

撮ったもの・作ったものを見ていただく、言葉をいただく喜びはSNSよりもリアルな場の方が私は大きく強く感じますが、そうした出会いの場に繋げるために、SNSはまだまだ有効なツールのようです。

「数」の話

今回の展示、そもそも私はあんまり在廊する気はありませんでした。

在廊が必須ではないことも理由にはありますが、単純に仕事が立て込んでおり、フリーランスではありますが在廊するには少し無理をした予定調整をしなければならなかったのです。

が、友人・知人からの「○日の○時くらいに行くね〜」と言う連絡に合わせていると、結果的に毎日在廊していました。

後輩に「三谷さん、なんだかんだ毎日いますね」と言われて少し恥ずかしかったです。

そして重ねて、結果的に毎日在廊していたおかげで「初めて会う人」「会えるとは思っていなかった人」と会話する機会に恵まれました。

場面によっては、複数名の3グループくらいに囲まれながら作品解説や感想の交換をする時間もあり、なんだか人気者になったようで内心キャピキャピしていました。

少し時間を巻き戻して、作品制作においても、かなり余裕を持った制作期間を設けていましたが、(偉そうなことを言いますが)散文制作において全く筆が(指が)乗らず、実は印刷依頼期限の前日に新作6枚中の5枚を仕上げています。

これは、たまたま前日に筆が(指が)乗ったためですが、ここで仕上げれていなければ、散文写真の展示を今後しない心づもりでした。

何ヶ月かけても一枚も書けないけど、一日で何枚も書けることがあるというのは、我ながら恐ろしいモチベーションとポテンシャルの揺れ具合だと感じています。

・期間に余裕を持っていたが、提出前日まで8割未完成だった
・自分一人に対して、大勢の人がその場で時間をくれた
・毎日在廊していた

この辺りが、今回の展示において私が抱えている「数」の所感です。

「質」の話

いただいた感想に優劣・甲乙はありませんが、「特に印象に残っている言葉」がいくつかあります。

とあるミュージシャンの方には「振り返れば恥ずかしくなる言葉に、いつか誰かが救われるから、このまま続けたほうが良い」と背中を押されました。

とあるクリエイターの先輩には「三谷はもうクリエイターだから、楽をしようとしたらダメ。」と叱咤されました。

とある後輩からは「この散文を作っている時、三谷さんの中で”誰”が読んでいますか」と問われました。

これらの言葉は、今後の制作活動において、足場になったり、手すりになったり、壁になったりするでしょう。「作品の質」というより、「取り組み方の質、姿勢、スタンス」を変えられたことは否めません。

これからの話

今回の展示をまとめると、

・友達が増えた
・散文写真が褒められた
・期間中にメンバーと食べたご飯が美味しかった

こんな感じです。最高じゃん。

言葉や写真は日常的に「集めて残して箱にしまう」ような付き合い方をしているのですが、それを今回の展示のような「作品」「読み物」「見せ物」的な品質へと仕上げていく作業は、まだ私の中で日常ではなく、大きなエネルギーが必要な作業です。

制作期間でもある、全く書けなかった数ヶ月の間には「この展示を最後に、散文写真はやめよう」とも思っていました。

しかし、「それぞれに独立していた文章と写真を組み合わせて表現し、散文写真を生み出すこと」からは、多大な産みの苦しみと、それ以上の「発露する快感」「共感される喜び」「癒し」を感じてしまい、それが他者からの評価以上に自分の中で大きく育まれたのが、今回の展示だったように思います。

私は基本的に、自分が撮った写真に対して「表現」という言葉を使いません。それは、私の中で写真はあくまで「記録」「ドキュメンタリー」の要素が強く、写真における「表現」から何かを受け取るアンテナが他人よりも弱いためです。文章も近い感覚を持っています。

ただ、散文と写真を組み合わせた時、(結果的な成果物もありますが)それは私の中で「表現されたもの」「表現ができるツール」にもなり得ていました。

そして、表現とは「心を動かすこと」、その心をどこに動かすかが、作品ごと、引いては作り手ごとの違いや魅力なのかなと今は感じています。

この活動の先に何があるかはわかりませんが、希望を持って取り組んでみたいと思っています。

また皆さんの目に触れる機会がありましたら、そして「なんかまたコソコソ作ってんな〜」と気づいていただいた方がおりましたら、今後とも応援を宜しくお願い致します。

今の目標は、散文写真をまとめて本を作ることです。

余談

隣の空きスペースに、思い入れのある写真をB1で展示しました。

これもカッコよかったでしょ。

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