藤里二ツ井秋物語
国道のバイパス、それをきみまちトンネルの手前で降りてやると県道317号線に出る。この道は切石入口交差点を発し、青森県は西目屋村へと至る県道であり、冬場の県境は通行止めになるほどの難所でもある。そんな道を二ツ井より藤琴川に沿って北上すると藤里町へと導かれる。同じ山本郡部に住むようになって半年が流れたが、未だにこの藤里には足を踏み入れたことのなかった私が苦行の合間を縫ってここを訪れたのは他でもなく秋を嗜むためであった。橅の原生林で知られる白神山地の秋田県側麓でもあるこの町はその山から落ちる清きせせらぎと美しい山々を臨む里山であり、町の中心地である藤琴の景観からも伺えた。全国チェーンの開拓もなく目立つのは藤琴役場前に建ついとくのみである。
そんな藤琴の市街地を抜け、さらに北上したところに峨瓏の滝という場所がある。名も無き白神から染みる小川の終焉に待つ滝であり、露出した巌を撫でやかに伝うように落ちるその清水はすぐに藤琴川へと注ぎ、私が進んで来た道を戻り、米代川へと混じる。つい先程まで秋雨が降ったのか、あたりの落ち葉はみっちりと濡れ果てていた。暫く滝の艶めかしさに心打たれていたが、ふと今回の訪問の目的を思い出し周りを見渡すと、滝の周囲の木々の紅葉は既に終わりを迎えていた。イタヤカエデなどの早期に落葉する木々と、常緑の葉が巌にビッシリとこびりつき、景観は緑と茶に充ち、部分的に映る黄や橙の色はなりを潜めていた。
しかし、滝の駐車場横に聳えるイチョウと山もみじはその色を十分に満たし、束の間とも言える青空と混じり、潤沢な暖気を帯びている。
そんな景色に私が暖をとっていると、そこにプリウスに乗った老夫婦が訪れた。その人たちを何となく私は豊田さんと名付けてみた。
秋の紅葉シーズンは基本的に老後夫婦の独壇場となるのが一般的である。秋というのは若者は毎日忙しなく学校へ行き、社会人は年末に向けて忙しなく働く。秋のレジャーを楽しむ隙というのは生産年齢には少々難しいとも言えるのだ。そうであるから老夫婦が訪れるのはごく自然なことであるのだが、あえて紅葉の王道を外したのには他者のいない静かな穴場で楽しみたかったというのもあったから少しばかし残念な思いでもあった。
秋田県における紅葉の景勝地といえば、小安峡や抱返渓谷、十和田湖、八幡平などが挙げられるが、いずれも老公が多く集まっていることだろう。
もう既に十二分に暖かくなったので、私はその場を後にすることにした。
続いて訪れたのは峨瓏の滝から少し南、藤琴川の対岸に位置する、権現の大イチョウと言う小さな神社であった。ここは事前の調べでは特段ヒットしなかった場所ではあるが、道端の案内がさも有名さを漂わせていたため足を踏み込まずには居られなかった。車をおりて直ぐに飛び込んできた景色は山々に囲まれた小さな平地にビッシリと広がる田んぼである。無論その田んぼは既に刈り取られ、雪を待つた体制を整えていたのだが、周りを囲う山々は高いところほどより紅く染まり、下に下るほど緑の混じるごく当たり前な光景。そんな光景に私は不覚にも非日常感を感じた。きっと、住まいからも同じような景色は見えて、どこでも少し人里離れれば見られる光景であるはずなのに、私はこの里山に名も無き日々への贖罪が果たされたように思われるのである。
本題の大イチョウの方はまだもう少し早いようで、緑が多く点在していたが、私はここに来て良かったと、稚拙にもそんなあからさまに単純で在り来りな感想を抱き、またそんな私をも抱き込んでくれるようなそんな里山であった。
気づけばまた、そこに豊田さんが向かってくるのが見えたため、私は逃げるようにそこを後にした。
藤里町は鉄道も国道も通らない、コンビニもない奥まった町である。ここに住まう人々は遠行の際、一度二ツ井に出てくることになる。二ツ井は国道7号線、羽州街道も通り、鉄道は奥羽本線という大幹線を有し、二ツ井駅には優等列車も停車するある程度大きな駅とも言える。藤里町への公共交通もこの二ツ井駅より発しており、藤里にとってなくてはならない駅でもある。
そんな二ツ井は藤琴川と米代川の合流点に位置し、山と川に挟まれた起伏に富んだ町である。川の合流点の横には七座山とその対岸にはきみまち阪を有する。きみまち阪は時の明治天皇へ皇后が、恋文を著し、天皇をお待ちになったということから恋文の聖地としての二つ名を持ち、きみまちという名もこのことに由来し名付けられたとされる場所である。私がこのきみまち阪に到着したのは既に藤里を発して、数刻が過ぎていた。ここには流石に人は割かし多く見られ、若者の姿も少なくも見受けられた。それはここのスピリチュアル的なものに導かれたのか、はたまた純粋に紅葉狩りへと赴いたのか、そんなことを考えていると、ふと高めの鐘の音が響き渡った。その鐘の音に振り返ると、彼の地にて鈴を引くアベックの姿があった。このきみまち阪には色恋な言い伝えをとって、はぁと型の鐘が植え付けてあり、その鐘を恋仲なる男女が引くと仲睦まじく愛を永遠に誓うというこのような場所によくある地があった。
こんな鐘は千葉県はアクアライン海ほたる、石川県は恋路海岸、新潟県は柏崎恋人岬、岩手県は恋し浜駅など本当にどこにでもあるものである。
しかし私もその鐘に引き寄せられる気持ちを理解出来たし、この鐘を鳴らすに値しないもどかしさを同時に噛み締めるのである。最近の多忙さと苦しみにおざなりになっていたが、その私の心に蔓延る彼女は今どうしているだろうか。
そんな、秋の葉よりも赤く、夕暮れよりも熱い、その蟠りが尚更独りこの音色に心奪われるのである。
鐘を鳴らしているのは誰なのか、私はふと気になり出し、もうそうなったら止められない質なのでその鐘の所まで登ってみた。そこには二人で鐘の糸に手を掛ける豊田さん夫妻の姿があった。
豊田さんもさすがに私のことを覚えていたのか、私に気がつくと少しはにかんだような笑顔で笑いかけてきた。
「目指す場所はみんな同じですね。」
その言葉が皮肉に聞こえたのはまだ私が、闇の奥から抜け出せていないからなのであろうか。