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歳はとってもプロはプロ

田植えの時期になった。
農家にとっては、1年で最も気を使うイベントだ。

毎年、田植えの準備には度々手伝いに借り出された。
実家暮らしで勤めをしていた時も、種まき作業の際には、仕事に行く前に手伝いをしなければならなかった。それほど人手が必要だった。

あらかじめ土を平らに入れた苗箱を100箱以上積んであり、種蒔き機のローラーの上に、1枚ずつ苗箱を乗せていく。ローラーを回転させるハンドルを回すと、これまたあらかじめ薬の入った水に漬けて置いて、芽が出そうな種籾を入れたじょうごのような形の下の出口から、種籾が落ちてきて、均等に種箱に蒔かれていく。
ローラーがじょうごの下を過ぎたときには、全面に種籾が蒔かれた状態で出てくるのだ。それをまた下ろして積んでいく。
この作業には、乗せるところに1人、ハンドル回すのに1人、苗箱をおろすのに1人と、最低3人は必要な作業だった。乗せるところにもう1人、おろすところにもう1人、計5人いればなおスムーズだ。

両親や親戚のおじさんおばさんが元気な頃は、主なところはお任せし、単なるお手伝いでもよかった。
年々両親も高齢になり、種蒔きや水やりして育苗する作業が重労働となり、ここ最近は苗箱をJAから買ってくるようになった。

田植えもこれまでは父が田植え機を運転し、母と兄が補助作業をやっていたのだが、今年はとうとう体調不良で田植え機に乗るのも難しくなり、集落の方にお願いすることになった。

車の運転ができれば田植え機も使えるのかどうか、乗ったことがないから分からないのだが、人がやっているところを見ていても簡単ではなさそうだな、というのが正直なところである。

さて、今年は田植えをお願いすることとなった。手伝いもいらないとの連絡があったのだが、父にとっては大事な田植え。ほっとくわけにはいかない。
私と兄と、二人とも手伝いに行け!の司令がでる。
前日には田んぼの脇に並べた苗箱に薬を蒔いて、水をかける必要があった。その際も細かく指示がでる。だいたい、では、よい稲は育たないのである。
お手伝い気分の私にとっては、一つ一つの指示が厳しいものに思えた。

いざ、田植えの日。若い人が田植え機を運転してくれることになった。最新の田植え機だ。乗せやすいローラーがついており、サユウに手を伸ばすように積み込み作業の時は伸ばせるようになっている。

積み込んだ苗箱から箱を外して苗を滑らせてセットしていく。
準備できたところで、広い田圃を一回りされる。ちょうどよく植えるにはかなり頭を使い、経験も必要になる。

順調に植え進められ、苗が減ったところで積み込みする作業のお手伝いをするため、往復される間は待ちのスタンスで気を抜いていた。

何度か苗を積み込み、中盤に差し掛かったところだった。
「おっ!おっ!」と父が声を上げる。
どうしたのかと思ったら、8条植えの田植え機のうち1条が苗をひろっていなかったのだ。
私と兄は全く気づいていなかった。運転されていた方も気づいていなかった。父はただ眺めていただけではなかったのだ。自分が植える時と同じように、1苗、1苗真剣に植えていたのだ。

兄曰く、1列植えられなかったとすれば、収量に影響するとのことだった。1列ぐらいいいか、なんていうことはないのだ。
急遽頼んだこととはいえ、お金を払ってお願いしていることだから、適当では困るのだ。
田植え機をバックをしてもらい、苗の具合を調整し、再度同じところに植えていく。今度は8条とも植えられた。

空いた苗箱も、根が裏まで張り付いている。気を利かせて取り払って積み込んだが、それもいつものやり方ではなかったようで、父のやり方に直されている。

高齢になり、体が思うように動かなくなったとしても、経験と意識はプロのままなのだ。自分よりも動けるとしても、所詮素人の作業なのだな、ということを思い知らされた、田植え作業だった。

昔から父にとっては、農作業が本当の仕事で、それ以外の仕事は本当の仕事ではないような感覚だなと思っていたが、その一端を垣間見た気がした。
農業は、付け焼き刃ではできない仕事なのだと感じさせられた田植え帰省だった。

#田植え

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