
なぜ『射鵰英雄伝』の郭靖の先祖は『水滸伝』の郭盛なのか? という件について
つい先月末、中国ではツイ・ハーク監督による映画版『射鵰英雄伝』(『射鵰英雄伝:侠之大者』)が公開されたとのことですが、その主人公・郭靖について、長年疑問に思っていた点――「なぜ郭靖の先祖は郭盛なのか」について、何となく理由がわかった気がしたので、メモ代わりに記しておきます。もちろん、あくまでも一読者の意見に過ぎませんが……
金庸の代表作の一つである『射鵰英雄伝』の主人公・郭靖。本作は13世紀初頭の宋と金が対峙し、モンゴルが台頭した時代を舞台にした物語ですが、郭靖は金に夫を殺され、モンゴルに逃れた女性から生まれ、チンギス・ハーンの庇護を受けて育ちます。
初めはまったく才能がなかったものの、金庸作品らしく色々あった末に(略しすぎ)超人的な武術を身につけた彼は、チンギス・ハーンの下で金と戦い、ついにはサマルカンドまで遠征することになります。しかし、やがてチンギス・ハーンの野心に反発し、袂を分かつことになり、その後は南宋でモンゴルと戦うことに生涯を捧げた――そんな人物です。
さて、そんな彼の設定の中に「先祖は梁山泊の郭盛」というものがあります。『射鵰英雄伝』と『水滸伝』は数十年の時代差があるので、郭盛は郭靖の曽祖父くらいに当たるのかなとも思いますが、ともかくそういうことになっています。
しかし、水滸伝基地外にして武侠小説ファンとしては、この点が非常に気になっていました。なぜ、主人公の先祖が、水滸伝でも比較的マイナーな郭盛なの? と。
この郭盛、梁山泊では騎兵近衛隊長として、頭領・宋江の護衛を務めていた好漢。登場時からのライバルである呂方とは常にワンセットで行動し、呂方が赤装束であるのに対し、郭盛は白装束――ビジュアル的にもなかなかおもしろいのですが、いかんせん水滸伝ではマイナーな部類に入ります。
梁山泊の席次では五十五位、ということは天罡星ではなく地魁星――要するに一段格落ちる存在です。地魁星でも特技があればいいのですが、戟の使い手であることと上記のコスチューム以外にほぼ特徴はなく、作中で印象に残るのは登場時と死亡時くらいではないでしょうか。
そんなわけで、金庸作品の主人公の先祖としては、失礼ながらちょっと格落ちなのでは――という印象がある郭盛。強いていえば、彼の渾名は賽仁貴――唐代に突厥などの異民族と戦った英雄にちなんだものとなっています。この点を踏まえて(最終的に)モンゴルと戦う郭靖の先祖とされたのかな、とも考えましたが、やはり無理があるのは否めません。
そんなわけでこの点は長年の謎だったのですが――ふと、思い至りました。郭靖の「郭」は、実は郭宝玉の「郭」なのでは? と。
いきなり郭宝玉といわれても戸惑う方も多いかもしれません。この郭宝玉は、やはり唐代の名将・郭子儀の子孫――郭子儀は安史の乱を鎮め、その後もウイグルや吐蕃の侵入を食い止めた名将ですが、そこから500年ほど下った郭宝玉は、チンギス・ハーンに仕えた武将として知られているのです。
初めは金に仕えていましたが、モンゴルとの戦いで大敗し、部隊ごと投降。その後はチンギス・ハーンの下で金と戦い、ついにはサマルカンドまで遠征することになります。
おそらく、チンギス・ハーンに仕えた漢人の中で、もっとも活躍した人物の一人であろう郭宝玉。もっとも、彼は終生モンゴルに仕え、孫の郭侃などはバグダート包囲戦にも参加しているのですが――それはさておき、郭靖の(前半生の)モデルが郭宝玉であった可能性はかなり高いように思われます。
しかし、上記のとおり物語の内容的に郭宝玉本人を主人公や先祖にするわけにはいきません。そこで「郭」姓のみを残し、近い時代で「郭」姓を持つ、比較的知られた人物を探した結果、郭盛が選ばれたのではないか、と考えた次第です。
正直なところ、郭靖のモデル(の一人)が郭宝玉である可能性については、私が言い出したことではもちろんなく、調べてみると中国ではすでに結構指摘されています。そりゃああれだけファンや研究者の多い金庸先生、指摘されないはずがないのですが、日本のネット上でざっと検索してみたところでは、この点の指摘は見当たりませんでした。
もし誰かがすでに言及されていたら(たぶん絶対誰かがしているとは思うのですが)非常にお恥ずかしいのですが、冒頭に記した通り、あくまでもメモ代わりとしてここにまとめておきます。