響眞『荒野のゴーレム』 石の巨人がそこにいる世界の西部劇
決して数が多いわけではない日本の西部劇漫画ですが、そんな中には当ブログ好みの伝奇性の(あるいはSF性の)強い作品も幾つもあります。本作はその一つ、ゴーレムと呼ばれる岩人形が運用されるアメリカで、少年ガンマン、ビリー・ザ・キッドが繰り広げる戦いを描く物語です。
人型に組み合わせた石と石の間に置くことで、人の命令で動く人形を作り出すゴーレム結晶(クリスタル)。このゴーレムの利用で発展してきたアメリカ――1877年のテキサス州ダラスの農場で、荷運び用のゴーレムが暴走する事件が発生します。
それも命令を聞かなくなっただけでなく、物質の性質を変える特性を利用して反撃してくる「第二段階」、さらに周囲の者に積極的に襲いかかる「第三段階」に移行したゴーレムに対し、犠牲を出すばかりの保安官たち。
その時、単身ゴーレムの前に立ち塞がった少年ガンマンは、的確な射撃でゴーレムの体の接合点を粉砕――瞬く間に暴走ゴーレムを拳銃一丁で破壊してのけたのでした。
ビリーと名乗るその少年は、賞金を受け取るとお供のゴーレムと共に、暴走ゴーレムを追って次の町へ。しかしそのビリーを追う二人の影がありました。
それは立て続けにビリーに獲物を横取りされた、ゴーレムの追跡・破壊を生業とする集団「スレッジハンマー」の腕利き、マーガレットとジェームズ――「壊し屋」として知られる腕利きと、ビリーは対決を余儀なくされます。
一方、各地でゴーレムを暴走させてきた謎の集団「解放者たち(リベレイターズ)」は、再びダラスで危険極まりないゴーレムを暴走させることを企み……
ユダヤ教の伝説に登場する泥人形・ゴーレム。ゲームや漫画などで、動く像の代名詞のように使われているゴーレムですが、本作はそのゴーレム(と呼ばれる存在)が日常的に存在する、アメリカ西部を舞台に展開する活劇であります。
もちろん現実にはゴーレムなどは存在しないわけで、その意味では架空史ともいえる本作の世界観ですが――しかし注目すべきは、その一点を除けば、文化・風俗・社会制度・そして何より武器と、本作が丹念にこの時代を再現した「西部劇」として成立していることでしょう。
言い換えれば、本作はゴーレムという異物が投入された点のみが異なる西部劇。テクノロジーレベル的にはダイナマイトが発明されたばかり(そしてその史実を作中に取り入れているのも心憎い)の状態で、いかにして暴走する石の巨人を倒すか――一種の怪獣もの的な味わいすら漂う異形のバトルは必見です。
(その意味では、作者の最新作『神蛇』が怪獣漫画であったのも納得です)
そしてそんな中でも、拳銃一丁でゴーレムを制圧してのけるビリー(そう、あのビリー・ザ・キッド!)の戦いぶりは見事というほかありませんが、しかし実は彼も完全な常人ではなく、人には見えないものを観る左目を持つ人間であります。
さらに、ビリーとは複雑な関係に立つ壊し屋コンビも、それぞれ異形の力を持ち――と、異能バトルの要素を持つのもまた、ユニークな点でしょう。
実はこの異能はゴーレム結晶と密接な関係を持つもの。いや、それだけでなく、ビリーがゴーレムをただの拳銃で倒せる理由、彼がその銃でゴーレムを狩る旅を続ける理由――そしてビリーのお供のゴーレムが意思を持ち、彼を「お兄ちゃん」と呼ぶ理由、全てに関わってくることになるのです。
こうして散りばめられた謎が、ストーリーが進むに連れて語られ、そしてあたかもゴーレム結晶が石と石を繋げてゴーレムを生み出すように、一つの巨大な物語を生み出す姿――それこそが、本作の最大の魅力なのです。
――しかし残念なのは、本作はその巨大な物語の序章ともいうべき部分を描いたところで、完結してしまったことでしょう。
単行本でわずか二巻分――そこに込められたものの濃密さ、そしてラストに提示された新たな謎の濃厚なSF色を考えれば、この先の物語が描かれたとしたら、どれだけの傑作になったかと口惜しくてなりません。
もっとも、その二巻だけでも本作が名品であることは間違いありません。西部劇というジャンルで何を描くことができるのか――その問いへの一つの答えというべき作品です。