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なぜシンプルな暮らしに惹かれるのか?

こんばんは、三田です。
毎年、師走に入ると「あ~来年こそは
シンプルに生きていきたいわ~」
と思っている。と気づいた。

ほぼ毎日のように、
シンプルな暮らしを送っている素敵な
SNSのアカウントを電車の待ち時間で眺め、
自宅について家の酷い状態を再認識し、
盛大なため息が出る・・・
というようなことを繰り返す。

現実を生きるリカちゃん
というアカウントに共感しまくる。
一人暮らしあるあるだと思いたい。
だいたいみんなそうだよね??と・・・


そもそも、
わたしにはシンプルに生きること自体、
無理なのではないかと思い始めた。

もちろん、片付けの効果は知っている。
なにせ前の職場で5S係という仕事を振られ、
5Sに関する本を自分で買って勉強し、
真面目に取り組んでいたので、知っている。

ただ、それを仕事ではなく、
しかも自分だけのためにやるというのが
無理なのだ。


社会人になってから一人暮らしを始めたので
もうそれなりの年月が経っているけれど、
一人暮らしとは、良くも悪くも
だれにも気を遣わなくて良い!!
という素晴らしき自由がある。
(無論、近隣に住む人たちへの配慮は必須)

だからもう、
自分で自分を律する試練なのだけれど・・・
仕事がんばってるから、いいよね?
と自分を甘やかすのは悪いことではないはず。
とかなんとか、
やらない理由はいくらでも出てくる・・・

ちなみに、年に何度か唐突に
「このままポックリいっちゃったら、
この汚部屋を身内もしくは業者の人たちに
晒すことになる・・・!!(恐怖)」
と夜中に思い立って片付けたり掃除したり。
それによりかろうじて保たれていると言える。


とまあ、だらだらと言い訳を連ねつつ、
現実逃避を兼ねて
「シンプルに生きるとは?」を深掘りする。
そもそも、シンプルってなに?
ということで、辞書で調べてみた。

シンプル【simple】 の解説
[形動]単純なさま。また、飾り気やむだなところがなく、簡素なさま。「—な柄」「—な生活」

出典:デジタル大辞泉(小学館)

なるほどなるほど、わたし的に惹かれるのは
無駄なところがなく、の部分ですね。
だからこそ家に帰ってゲンナリする。
無駄だらけで散らかってるのが嫌すぎる。
(そうしているのは自分なんですけどね)


じゃあ無駄ってなんだろう?って話になる。
無駄は読んで字の如く、
役に立たないとか価値が低いとか
そういう意味だけど、いや酷い言葉だな・・・

実際に無駄なものもあるかもしれないけど、
自分で買ったものは特になにかしらの価値を
見出して買っているはずなのだ。
それを無駄と感じてしまう心理状態の方が
問題かもしれない?!などと思い至る。

一見すると無駄とされてしまうそれらを
楽しむ余裕を、きっと最も欲している・・・


シンプルに生きている人とか、
シンプルな暮らしを送っている人に対して
「素敵だなあ」と感じるのはきっと、
無駄なく簡素という意味のシンプルではなく、
その人の好きがシンプルに伝わってくるから
「素敵だなあ」と思うのだろう。

自分の好きが、シンプルではなく
無駄のように見えてしまっている状態に
ため息が漏れるほどゲンナリしている。

好きなことや好きなものを楽しむ余裕がない
だなんて・・・ああ・・・
なんて無駄な人生の過ごし方をしているのか!
と、自分を責め立てたくなる。

でも、自分の不甲斐なさを責めたって
だらしない自分に嫌気がさしたって、
負のループに入るだけで
一向に部屋は片付かないのである。


というわけで、
年内には(フラグではなく)
絶対に部屋をどうにか片付けたいので、
時間の余裕を作ってのんびり楽しめるように
予定を立てたいと思います。

悩まず考えずとにかく行動あるのみ!!
と、即行動派の人には思われそうですが、
わたしはそういうタイプではないので
のんびりぐだぐだ悩むのが好きなので
そんな時間も含めて楽しみながら
年の瀬の大掃除をやるぞ!!!!!!!!


とはいえ、シンプルに生きてる人って
カッコいいな~と感じるので、
そのあたりも深掘りしたいと思いました。三田

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