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【自閉症児の育児】イヤだね連発 素直になれないわけ

天邪鬼(あまのじゃく)だった頃の次男さとちん  その2のお話。


『素直になれず拗ねヤダヤダなさとちんに手を焼く私。その中で気づいたことを綴っていきます』


あまのじゃくって最近だと馴染みがない言葉でしょうか。
これ死語かもしれないですね 汗
 

漢字で書くと『天邪鬼』なんですけど、余計分かりづらいですよね^^;
 

「あまのじゃく」とは何なのか?と調べてみましたが、民話などで悪役として登場する鬼らしいです。
 
 
意味は
『あえて人と違う意見を言ったり本心とは裏腹な態度を取ったりする人のこと』
 
 
別の言葉で置き換えると「へそ曲がり」それも今の時代では使わないかな^^;
 
 
次男さとちんにもそんなへそ曲がりな時期があって手を焼いていました。
 

素直になれないさとちん
ほんとうはそうしたくないのに。
「もうイヤだねー💢  ヤダヤダ!」
と拗ねてしまう。心裏腹。


これはさとちんの性格ではないかってずっと思っていました。
でも、どうやらそれは違うのではないかって思えてきたのです。
 
 
さとちんは3人目末っ子。
上には兄のたけちゃん(重度自閉症知的障害)がいてその上にはお姉ちゃん(健常)がいます。
 

3人は年が近いのもあり小さい頃は猫の手も借りたいほど大変でした。


なのでさとちんに寄り添う心の余裕が私にはありませんでした。
 
 
何か私にお願いしたくても言葉では上手く伝えられないさとちん。
 

ほんとうならそれを分かってあげるのが母の役目でしょう。
 
 
でも私は自分の子どもに対して甘えが出てしまって忙しいや大変を言いわけにして、それを聴いたり分かろうともせずに「待ってて」と後回しにしていたのでした。
 
 
なのでさとちんがヘソを曲げて当然のことなのです。
 

さとちんは目にいっぱい涙をためていました。
お母さんに分かってもらえない寂しさと、素直になれない悔しさとが入り混じっていたのだと思います。

 
あまのじゃくが出ると「やれやれ」という感じになって「勝手にしなさい」となってしまうこともありました。

 
そんなやり取りが長く続きました。
 
 
私も子どもと同じように(体は成長してないけど)精神的には成長し続けています。
まだまだ人としても母親としても未熟でした。
 
 
さとちんに問題があるのではなく、そうさせてしまった私がどうなのか...
ということにようやく気づかされたのです。
 
 
あまのじゃくぶりは年を重ねるごとに減ってはいたものの、さとちんが就労してからもなくなったわけではありませんでした。


このままではいけない。
私が変わらねば。


相手を変えることはできない。
変えられるのは自分だけだ。
そんなことを学んだ私。


今までのおもい方や考え方の角度を180度変えてみよう。
斜めや横方向、いろんな角度で見てみることと、そして行動してみました。
するとさとちんの態度は変わっていきました。
周りの環境までも良い方向へと変化していったのです。

 
その結果、素直なさとちんになっていったのです。
「イヤだ」や反抗的な態度を取ることがなくなっていきました。
 
 
言われたことは素直に取り組むようになり、仕事も頑張り家のお手伝いをしてくれる心やさしいさとちんです。
それがさとちんの本来の姿なのです。
 
 
私が心がけていることは、さとちんが何か話してきたら「そうなんだぁ」と耳を傾ける。
それに対して、「すごいね!よくやったね!頑張ったね!えらいね!」
とすべてを肯定する返事をするようにしました。
 
 
誰しも認められると嬉しいものです。
なのでさとちんが喜ぶのが分かりました。

 
このことに気づいた極めつけは、農園に就労してからの農場長とさとちんとの関係性で悩まされた時でした。
 
 
私にとって心配ごとが増えて不運に思える出来事なのでしたが、結局このことがあったから相手(農場長)を悪く思いたくなるところを自分ごとに置き換えてみることで気づきがありました。
そして、それが感謝に変わることを実感したのでした。
 

ひとつのことに捉われず柔軟な心で物事を見る目を養うことができました。
 
 
その学びが終わるとすべては解決へと導かれていき、また新たな環境とご縁が待っているのですね。
 
 
子どもからも学ぶことがたくさんあります。
さとちんからもいろんな人生の経験をせてもらえてありがとう!と言いたいです。
 
 


 

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