【新方言】誰でも訛れる、標準語派生方言【新中鳥弁】


■方言を知らない若者へ。

現代人は、方言を話さない。
みんな敬語で物事を話していて、冷たい人に見える……
全員が全員、標準語を話すので、方言を知らない人すらいる……

「方言なんてものは田舎者がしゃべるダサい言葉なのではないか?」と思って話すのをためらう人もいる。

あるいは、「地元の方言は嫌いだ」と言ってあえて聞き飽きた方言では会話せず、標準語で会話する人もいる。

だったら、標準語ベースの方言を作ってしまえばいいじゃないかと思った次第でございます。

標準語話者だって方言の1つくらいはしゃべりたい。
そう、ぼっち・さ・方言、新中鳥弁ならね。

■どういう方言なの?

新中鳥方言(しんなかのとり-)、もしくは新中鳥弁
相次ぐ移民の流入と、通信技術の進歩によって古くからあった方言が一度消滅し、
全国区の標準語が話されるようになった後、
町おこしの名目で新しく作られた方言という設定。
標準語ベースの人工方言である。

■とういう時に使うの?

基本的には、標準語でコミュニケーションを取っている人が、
方言のような言葉遣いをしたいときに使うものである。

■新中鳥弁の歴史

中世の岩次国(いわつぎのくに)においては、
現地住民により、独特な方言が使われていた。

当時は岩次洲(がんじす、現在の中ノ鳥島)で話されていた「岩次語」、
細かく分けると「西岩次弁」と「東岩次弁」、
それから、蒼酉ケ島(せいちょうがしま、現在の青鳥島)で話されており、岩次諸語の中でも独特な口調が特徴だった「蒼酉語」があった。
また、これらの言語ををひっくるめ「岩次諸語」とも言われた。

が、近世に入り、岩次洲が本地の中央政府に編入され中鳥庁となり、
本地から中鳥県に大量に住民が流れ始めてくると、
元々の先住民より中ノ鳥島に移住する住民の方が格段に多いため、
各地の方言が入り混じる事態になった。

これでは収拾がつかないため、
当時の中央政府は、中鳥庁に対し、標準語で話すようにすることが定められるようになった。
そのため、現地語だった岩次諸語や、移民による各地の方言は中鳥庁内から次第に消えていき、
標準語で会話することが主流となっていった。

時は下り、中鳥庁が中鳥県となった後の1970年代頃になると、
中鳥県民は地元の方言がないではないか、と騒ぐようになった。
当時、中鳥県においては、標準語で話すことが根付いていたため、
地元の方言というのを持たず、
かといって、先住民の話していた古い岩次諸語は当時の移民流入により急速に淘汰され、ほとんど話すものがいない状態になっていたがゆえ、
当時の若者が標準語ベースで改めて新しい方言を作る流れになった。

紆余曲折あり、新中鳥弁という方言の製作に着工したのが1979年。
1984年に「新中鳥弁辞書」という本が出版され、一般市民に公開。
主に中鳥県内の書店などで販売された。

その後、少しづつ研究を重ね、方言っぽく聞こえるように調整し、
1990年代半ばごろには概ね形が完成した。

※作中設定です。実際の言語開発は2025年です。

■新中鳥弁の話し方

新中鳥弁は標準語ベースです。
子供のころから標準語で、ほとんど訛ったことがない人が訛れるように作った、分かりやすさ重視の新方言です。
会話で交えると楽しいです。
ただし、全部新中鳥弁にするのではなく、標準語の会話に多少新中鳥弁を交えて使うように設計しております。
主に、話し言葉を念頭に設計しているため、漢字はありません。
新中鳥弁を書き言葉で使う時はさいたまごのように平仮名だけでコミュニケーションを取ってください。

■新中鳥弁用語集


おはようございます→このあさは
こんにちは→このひるわ
こんばんは→このよるわ
おやすみなさい→いいゆめを
いただきます→くらいはつ
ごちそうさまでした→くらいせさた
行ってきます→いくわ
ただいま→いまいま
おかえり→ごしゅじんたま
さようなら→そうなら
ありがとう→ありがたう

去年→まえとし
先月→まえつき
先週→まえしゅう
一昨日→そのまえひ
昨日→まえひ
今日→けふ
明日→つぎひ
明後日→そのつぎひ

私(一人称)→まい
あなた(二人称)→ゆう
私たち→うい
あなたたち(三人称)→ゆざら

すごい→つよい
すごくない→よわい
本当に→ほんかくてきに

天気→そらきぶん
晴れ→おてんと
曇り→そらけむり
雨→そらなみだ
雪→そらかたまり
風→ひゅる
台風→おやじ
雷→いかづち
熱い→ほっと
寒い→こおる
涼しい→ひゅるひい

料理→れうり
醤油→せうゆ

ございます→こさきはつ
です→せつ
ます→はつ
した→さた
する→せる
でした→せさた

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