夫婦というものは。
先月、私の両親と旅をした。
正しくは、両親と姉の息子と私たち家族。計7名。
京都・大阪2泊3日のプチ団体さま旅行である。
7人の中でいちばん旅慣れしているのが私だったのもあり、親の希望を取り入れた旅程は私が作った。
京都トレンドに関しては、母親不在なのに何故か同行した20代半ばの甥に当日SNSでタグってもらった。
旅費はほぼ両親…母が出してくれた。
母曰く「これが夫婦最後の旅行だから、◯◯家の面々で行きたい」。
だから、旅費は出してあげる。
…夫婦最後だから。
と意味のある旅のはずだった。
京都が1日目。そして2日目も両親のみ京都バス観光。私たちは大阪。
後期高齢者のザ・昭和の父(団塊の世代生まれ)はしょっぱなから、周りの気を軽く揉ませた。
母に連れられてきた風の小柄な父は、京都・嵐山の風情に何ら感想も言わず、"ただその場にいた"だけだった。
普段あまり喋らないが、喋る時は老化の難聴もあって地元アクセントのデカい声量。
新幹線の車内では周囲にもよく聞こえる。
田舎のおっちゃんが喧嘩腰に声を張り上げる感じ。
それに、私が立てた旅程にも軽く文句を入れていた。母はそれを隠したかったようだが、容易に聞こえてきた。
1日目を終えて、母は翌日のバス観光の代理を甥に頼んでしまった。
京都-大阪間とホテルまでの道のりが、大都会・大阪を見た高齢夫婦にはまずムリだと悟ったようだ。
そして、自分の夫と2日目も一緒に行動するのはムリだとも悟ったようだ。
母は自ら予約した京都観光を簡単に手放した。
あっさりと、同級生との大阪での合流を午前開始に切り替えていた。
旅中はホテルの部屋でも「やっぱりお父さんとは行動ムリ」と愚痴っていた。
こうして、夫婦最後の旅行どころか、
夫婦別行動・別室のただの家族旅行になった。
母から2日目の父とのペアを急遽頼まれた甥が哀れだが、ドラマに出てくるような"なんだかとてもイイ人"な甥は祖父孝行をきちんと担ってくれた。
ちゃっかり夜1人で大阪の観光地を巡っていたみたいだし、まあいいか。
私の両親であるこの夫婦は、離婚危機が一時期あった。
理由は書かないが、父は母からそっぽ向かれても仕方ない状態だった。
母は歯を食いしばっていたと思う。
私には当時から散々愚痴っていた。
私も当時は父が嫌いだった。
そんなこんなで母が耐え続けて、父も少し言動が落ち着いての老後。
離婚はしていない。
父の実家(本家)の身辺整理と自身の終活をもほとんど済ませた母は、父への苛立ちの感情も軟化したようで今回の旅行を計画したようだった。
けれど。
やっぱりこんなもんだよね。
母も別に父と今さら仲良くなりたい訳ではないし、父も同じ。
でも地元では一緒に買い物には行ってはいるようだ。
結局、娘から見てもよく分からない夫婦だ。
長く連れ添って酸いも甘いも経験した夫婦って、なんだか芸人のコンビと似ているなと思う。
添い遂げる"覚悟"、ではないように思う。
母はお家ごとのさまざまな出来事を修行とし、それをクリアしていくことで、心を削ぎ落としていったのかもしれない。
もしくは、諦念なのか。
母は元兼業主婦でアクティブな人。
父のだけでは足りない生活費を地道に稼ぎながらも、日々さまざまなタスクをこなす器用な人だ。
そんな切替上手な妻だから父は見放されずに済んで、仕事も今春までやり遂げることができたんだと思う。
時代が時代で、仕事が一番で家族をあまり見ていなかった父。
ザ・昭和な価値観は相入れないことが多くて、思春期以降の私は父が苦手だった。
でも、そんな時代の空気と共に生きてきて、一時期転んでしまった父に今は少しだけ同情する。
父の足枷を分かっていたから、結局母もなんとなくそのままいて、老後に続いているのだろうと思う。
私も父への態度は緩んだ。
私の場合は、離れていて顔を合わせる頻度が少ないから、過去の厭わしさが風化したのだと思う。
夫婦最後の旅行は終わり、
その2日後、母は「今度、一緒に尾道に行こうよ」と私と娘を誘ってきた。
件の家族旅行自体は、孫とも一緒で同級生とも会えて楽しかったようだ。
ゆえに旅への思いが上昇したのか。
母は旅行納めはしないで、今後も父抜きで国内を楽しむつもりのようである。
晴れやかな5月の渡月橋の上、2人並んだ写真だけは夫婦最後の旅の証となり、後に子どもの私たちに遺されるものとなるだろう。
_終わり
▼ この旅の記録はInstagramにて。