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別府の海岸でノーパンノーブラ浴衣美女に出逢った話。
青い海。青い空。そして、ノーパンノーブラ浴衣美女ーー
「何言ってんだとろろわかめは。妄想も大概にせい」と読者の皆さんはお思いになったかもしれないが、否、断じて僕の妄想ではない。まるで17世紀オランダのバロック絵画の巨匠・レンブラントの名作『夜警』に描かれたような奇跡の光明(ノーパンノーブラ浴衣美女)は、確かに現実のものとして、畏れ多くも僕らの眼前に顕現なされたのである。
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レンブラントはその光の表現の巧みさから「光の魔術師」の異名を持つ。
(画像引用 : https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E8%AD%A6_(%E7%B5%B5%E7%94%BB)
僕はかつて、大学で自転車部に所属していた。自転車部と言っても漫画『弱虫ペダル』みたいにレースに出るのではなく、ツーリングが主な活動である。特に夏休みと春休みに2週間ほどかけて日本各地を巡る「夏合宿」と「春合宿」は、この部活の醍醐味の最たるものと言えた。例えば、僕が大学2年の時の夏合宿では、北海道をロードバイクで海岸線沿いに走ってほぼ一周したりした。しかもキャンプしながらである。荷台に積んだテントが重かったっけ…… 我ながら、よくやったもんである。
そんな北海道一周夏合宿から約半年後に行われた、九州一周春合宿・2日目のことである。別府名物地獄蒸しプリンを食べたり、別府名物とり天を食べたり、僕の大好きな回鍋肉を食べたり(九州に全然関係ないイベントをねじ込むあたり、僕のマイペース振りが面目躍如といったところである)といろいろなことがあったわけであるが、僕が毅然として後世に語り継ぎたいのは、あの砂浜に訪れた聖なる瞬間のことである。
大分名物とり天発祥の店「東洋軒」で昼ごはんを済ませたあと、同じ4人班で一緒に走っていた後輩の永井(仮名)と山本(仮名)が、
「この後は砂風呂に行きます」
と言い出した。(何で砂風呂? いや、渋くね?)と正直当初の僕は思ってしまったのだが、後輩の希望を叶えない春合宿というものはこの世に存在していないのである。少なくとも当時のウチの部活はそういう気質であった。気持ちを立て直し、よし行こう、と僕たちは一転勇躍してペダルを踏み込んだ。
海岸のすぐそばにその砂風呂温泉はあった。僕の同期の松田(仮名)が受付で支払いを済ませると、4人分の浴衣が支給された。どうやらこれを着て砂の中に埋まるという寸法のようである。男4人がいそいそと脱衣所で浴衣に着替えようとした時、今度は一つの貼り紙が目に留まった。
「浴衣の下に下着を着用しないで下さい」
とある。砂風呂の後、シャワーで砂を落として普通の温泉に浸かるという流れを鑑みれば、この舘ひろしスタイルの推奨は妥当であると思われた。
「何か裸に浴衣って気持ち悪いっすね」
などと山本が言いながらも、僕たちは敢然と外に出た。砂浜である。左手を見ると、そこには上品な砂遊び場とでも言うべきスペースがあり、女性の砂掛けさんが4,5人程いらっしゃった。その内2,3人は20代かと推定される若い方々である。砂場にはちょうど人1人が寝そべれるくらいの窪みが並んでいて、僕たちは誘われるままにそこへ仰向けになり、はい気を付けしてくださーい、という砂掛けさんの声かけと共に砂の中へ埋まっていった。この砂というのが意外に重量感に富んでいて、股間のあたりに砂を落とされた際には、不覚にもビクッと身体を震わせてしまった。
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砂に埋められた直後こそ、女性に身体の自由を奪われるという不安と快感の狭間で心が揺れ動いていたが、次第に体全体がぬくぬくと暖まってきた。前には透き通るような空と海が広がっており、これは良い、と僕はすっかりご満悦であった。しばらくして、砂掛けさんの1人が
「お客様(僕たち4人)の中でスマホかカメラをお持ちの方はいらっしゃいますか?」
と尋ねてきた。僕が持ってます、と伝えると、彼女は慣れた所作で次々と砂に埋まる僕たちのポートレートを僕のスマホで活写していき、4人の全体像を前後からそれぞれ捉えるという周到さで写真撮影をこなした。女性に自分の写真を撮られる経験に乏しい僕はどんな顔をすれば良いのか全く分からず、DT特有のキモいはにかみを撮られてしまうという失態を犯した(下画像参照)。
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気を取り直して僕が瞑想に耽っていると、青いキャンバスを1人の女性が横切った。彼女はこれから砂に埋まるようである。零コンマ何秒かの間、僕は彼女に対して何の疑念も抱いてなかったのだが、この時、非常に畏れ多きことながら、神が、僕の耳元でお囁きにったのである。
「……あの人も、下着つけてないんかな?」
神の啓示を受けた時、モーセは海を真っ二つに割り、イエスは死から復活し、ムハンマドは使命に目覚めた。1,400年の時を経た極東の島国日本で新たな預言者となった僕の叡智(H)と創造(想像)性は、かつてない程の爆発的な高まりを見せた。浜辺に横たわる無垢な肢体。そしてそれを緩やかに圧する海の砂。きっとこれは古きギリシアの愛と美の女神・アフロディーテの祝福に違いない。確信を深めた僕は、神の国オリュンポスとは山ではなく、海辺であったか、という稀代の歴史的発見ないしパラダイムシフトに酔いしれた。
後に話したところ、山本もかの天啓を受けたようで「襟の間からポロリするんじゃないかなと思ったんですけどね〜」となお素晴らしい知的探究心を見せてくれた。何にせよ、神の国へと僕を導いてくれた永井と山本には改めて感謝の意を、僕の渾身のすしざんまい社長モノマネで表したい、そう切に願ったある早春の夕暮れ時であった。
(終)
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