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【政府】高齢者庁が必要なのでは?

※この記事には政治的な主張が含まれています。苦手な方は読み飛ばしてください。


カフェでのできごと

先日、妻と映画を観た後に、映画館の隣のビルにあるカフェに入った。

平日のため、店内はそこまで混んでいなかったが、念のため席を確保してから注文の列に並ぶことにした。

いつもは、ハンカチやエコバッグなど目印になる物を机の上に置いておくのだが、この店ではちょっとお洒落な席確保用の立て札が用意してあったので、それを置いて列に並んだ。

コーヒーとクッキーをお盆に載せ先ほどの席に向かうと、「アレッ?誰かいる?」

先ほど立て札を置いていた席に、年配のご夫婦が座ってコーヒーを飲まれていたのだ。机の上には立て札が置かれたままだ。

ちょっとモヤモヤした気持ちもあったが、幸いその時間帯は客もまばらで、他にも席が空いていたため、何も言わずに他の席に座った。

先に出て行かれた年配のご夫婦の席上には立て札が残されたままだったので、店を出るときにそっと戻しておいた。

立て札をよく見てみると、飾り文字で「Reserved」とだけ記されていて「ご予約席」などの日本語表記はない。

年配のご夫婦は、もしかしたら、この立て札が何を意味するかわからなかったのかもしれないなと思った。

どうやら悪気はなかったようである。

「年配のご夫婦の2人だけのゆっくりした時間を邪魔しなくてよかったね」と、歩きながら妻と話した。

「お洒落感も大事だけど、誰にでもわかりやすく大きな字で『ご予約席』と表記しておいて欲しいな」

「若いアルバイト店員の感覚からしたら、高齢者にはわかりにくい表示だということ自体、気が付いていないのかもね」


高齢化の進む日本社会

上記のできごとは、自分の身の回りで起きた些細なエピソードであるが、高齢者の増えた日本社会では、同じようなことが今日も全国のあちこちで起きているかもしれない。

カフェなどでは周りがさりげなくフォローしてあげればいいが、日常生活に関わるところでは高齢者の死活問題にも繋がりかねない。

例えば、近年スーパーやコンビニ、飲食店などで無人レジやタッチ決済が急速に導入されているが、高齢者は時代についていけているだろうか?

ウチの老親の買い物の様子を見ていると不安が募る。

実家の近所のスーパーには有人レジコーナーがまだ残っているが、支払い自体は数年前にセルフに変わってしまった。いわゆる半セルフ式のレジだ。

先日機械が更新され、支払い方法を選択する画面の表示順が変わったり、現金を入れる位置が微妙に変更になっただけで母は戸惑っていた。

高齢者は視力も落ちているし、ちょっとした新しいことへの対応力も弱ってきているのだ。

もしこの先、スーパーでフルセルフ式のレジに更新され、支払いも電子マネーだけになってしまったら、母はもう一人では買い物ができなくなってしまうだろう。

これは、社会全体で対応を考えるべき課題だ。

IT技術を活用してコストダウンを図ったり、便利なサービスが生み出されるのは本当に素晴らしいことだ。自分もその恩恵に預かっている一人でもある。

しかし、同時に高齢者を切り捨てない社会を築いていく必要がある。

日本社会の高齢化率の進行は速く、高齢者と定義される65歳以上の人が総人口に占める割合は2023年時点で29.1%であるが、2040年には約35%、2070年には39%に達する見込みのようだ。

実に人口の40%が高齢者で構成された社会が、そう遠くない未来に出現するのだ。

これだけ多くの高齢者が存在する社会では、高齢者が暮らしやすい社会をデザインしていかなければ、社会を維持していくこと自体難しくなってしまうだろう。

例えば、高齢者が独力で買い物ができなくなってしまえば、介助の必要が新たに生じ、社会全体として今よりも更に人的資源や資金を介護に投じていく必要が出てくる。

ただでさえ、高齢者の人口増により介護保険の持続性が不安視されているのに、これでは介護保険制度の破綻は避けられなくなってしまうだろう。

そのような事態を避けるためには、高齢者の特性に合ったしシステムの研究や開発を加速し、サービス提供者には採用を義務付けるなどの法整備が必要だ。

場合によっては、それを促進するための補助金政策も必要になってくる。

このようなことを書くと、ただでさえお金のかかっている高齢者に、さらにお金をつぎ込むのかという批判があるかもしれない。

しかし、これは何もシルバー民主主義をもっと推し進めようとする主張などではない。

社会の安定的な持続性を担保するためには、欠かせない政策課題なのだ。


高齢者庁の設立

岸田前内閣では、2023年こども家庭庁が創設された。こども家庭庁は、こどもや家庭に関する政策を一元的に推進するための役所のことだ。

石破内閣では、防災庁の必要性が訴えられている。

確かに少子化対策は待ったなしであるし、台風や地震などをはじめとする自然災害の多い日本では、その適切な対応は極めて重要な課題である。

しかし、同じように緊急性を持って対応しなければいけないのは、増えすぎた高齢者対策ではないのか?

このまま、増えすぎた高齢者への対応を成り行き任せにしていては、社会が立ち行かなくなるのは時間の問題と考えられる。

その対策として、高齢者に関する政策を一元的に推進する高齢者庁の設立が欠かせないだろう。

ここで、高齢者社会に関する研究や政策を総合的に立案・推進するのだ。

例えば、IT技術を駆使した社会での見守りシステムの構築が考えられる。

今の介護はあまりに人手に頼り過ぎている。ロボット技術の活用で省人化を図ったり、IT技術で効率化を図ったりしないと、人的にも資金的にも介護保険制度は持続しないだろう。

バスなどの交通機関についても同様だ。高齢者の身体的・認知的な機能低下に合わせたバス乗降システムの工夫や車いすが問題なく通れるような道路環境の根本的な改良も必要だろう。

これらのシステム整備には相当の公共投資が必要となるが、相応の見返りが見込めるため無駄金にはならないのだ。

医療についても同様だ。医療保険制度の維持のためには、総医療費の抑制が必要となる。

健康寿命を少しでも延ばす施策は最優先に進めるべきだ。IT技術やAI技術を活用した診療の効率化も不可欠だろう。

医師制度も、専門的な治療をおこなう専門医と慢性的な投薬治療をおこなう医師を区別し、報酬体系を整理し直すことも必要かもしれない。

制度的には、一定の所得のある高齢者は現役世代と同様の基準で社会保険の相応の負担をおこなうように改めるべきだろう。

要するに、高齢者が人口の40%を占めるだろう超高齢化社会を前提として、ゼロベースで社会システムをデザインし直すのだ。

そのくらいドラスティックに社会を変えていかないと、日本社会は立ち行かなくなる。自分はそのような危機感を感じている。


グランドデザインが必要

ここまで書いてきて思うのだが、日本のグランド・デザインを描ける政党は存在しないのだろうか?

今の日本は、少子化による人口減少、高齢化による社会の停滞、現役世代の負担感の増加、成長しない経済、国際社会での地位の低下、ばらまき続けた挙句の巨額の国の借金問題、軍事力で現状変更を図ろうと企む周辺国など、解決困難な課題をいくつも抱えている。

これらを総合的に考えた国家戦略が必要なのだ。

多少の痛みがあっても改革を断行しなれば、先がないのは見えている。

問題は、子供手当を配るとか、教育無償化するとか、消費税を下げるとか、ガソリン税のトリガー条項を解除するとか、現役世代の手取りを増やすとか、そんな小手先のごまかしではないはずだ。

だいたいお金を配ることだけ考えて、財源はどうするつもりなのだ?

真剣に考えているのか?

また国債を発行して国の借金を増やすつもりなのか?その国債も引き受け手が日銀しかいない異常事態だというのに…

目先のニンジンで票が得られればそれでいいのか?

なんだか先の選挙の各党の公約を見ていると、頭を抱えたくなるものばかりだ。

自分の子や孫(まだいないが笑)世代の未来が心配になる。

日本のグランド・デザインを描いて実行できる強力なリーダーは、今の政治制度では現れることはないのだろうか?


※この記事では「日本の政治」について考察していますが、記事内容はあくまでも筆者の個人的な見解です。
当該テーマについては、異なる見解が存在することが予想されますが、筆者の見解と同様に、それらの異なる見解も尊重されるべきだと考えています。
相手を罵ったり言論封殺しようとするのではなく、自分の見解とは異なった見解を相手が述べる権利を全力で守るのが真の民主主義だと信じています。

※この記事は、個人の見解を述べたものであり、法律的なアドバイスではありません。関連する制度等は変わる可能性があります。法的な解釈や制度の詳細に関しては、必ずご自身で所管官庁、役所、関係機関もしくは弁護士、税理士などをはじめとする専門職にご確認ください。
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