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【陸上】「走ること」は生きることと似ている


陸上部の思い出

中学のときは陸上部だった。

陸上といえば球技が苦手な子がやるスポーツのイメージがあるが、特に球技が不得手だったわけではない。

小学生の頃は時代背景か放課後は毎日草野球をやる少年であった。球技大会のバレーボールでは長身とジャンプ力を生かしてエースアタッカーを任されるなど、むしろ球技は得意な部類の方であったかもしれない。

運動会でリレー選手をやっていたくらいだからカケッコは元来得意な方ではあったが、それが陸上部に入部した直接的な理由ではなかった。

陸上部に入ったきっかけは、ほんの偶然であった。

中1で仲のよかった友人に誘われて、練習が楽そうだという噂に惹かれて仮入部したのが始まりだった。

放課後グランドに出たら、友人の言うとおり2年生の部員は存在せず、3年生はいたが不思議なことにまるで運動する気がない連中で、鉄棒の辺りに座り込んで最後まで井戸端会議をしていた。

3年生はほどなく引退し、グランドに姿を見せることもなくなった。先輩不在の1年生部員だけの部活が始まった。

そんな状態なので決まった練習日もなく、週に2、3日気が向いた時に自主練でグランドに出て走ったり跳んだりしていた。

当初部員は10人ほどいた筈だが、幽霊部員も多くどこまでが部員なのか不明瞭であった。

他の部活をやってるクラスメートからは、朝練や先輩への挨拶の仕方の話などをよく聞かされたが、そんな世界とは無縁の3年間であった。

卒業時には部活の後輩たちが大勢で送り出してくれた記憶があるので、次の年からは部員がそれなりに集まったようだ。それは部活の中で上下関係を意識して作らないようにしていた影響かもしれない。陸上はチームスポーツではないので、それでよかったのだ。

今振り返って考えると、この自由な感じが自分の性格にぴったりだった。

短距離走は得意ではあったが長距離走が苦手な自分には、練習は集中しておこない休むときには休むスタイルが体力的にも合っていた。

それでも中3では地区大会で、走り幅跳びで金メダル、4×100mリレーで銀メダルを獲得して全校朝礼で表彰された記憶があるので、緩いなりにも練習はしていたのだろう。


走ることは生きること

短距離走は集中力が求められる競技だ。0.1秒を争う競技だからそれは必然でもある。

その分普段は力を抜いて過ごしている。

ただ大会がある日だけは特別だ。レースに向けて徐々に気持ちを高めていくのだ。

競技場に着いたら軽くアップをおこなうが、本格的に体を動かすのはコールの後だ。

コールとは自分の出場する種目レースの1時間ほど前に点呼を兼ねて集合しゼッケンなどを受取る儀式だが、コールを忘れるとレースの出場資格を失ってしまうため、大会のプログラムを片手に気は抜けない。

体がスムーズに動くようにもも上げ、スタートダッシュ、ウィンドスプリントなどで体を温めつつイメージトレーニングで、スタートに向け徐々に集中力を高めてゆく。

ウィンドスプリントとは、80%くらいのスピードで走りながら腕振りや足先の動きを確認しながら走る練習方法である。

レースの15分前には放送で招集がかかる。

レースを待って並んでいる間も、血行をよくするために両掌で脛や太ももを叩きながら集中力を切らさないように心がける。

全てはその一瞬にために照準を合わせて行動するのだ。

いよいよスタートラインに立ったら、軽くジャンプしてリラックスしたあと足をスタートブロックに合わせクラウチングスタートの態勢を取る。

視野は狭まり一人だけの世界に入る。

「ヨーイ!」の合図で重心をギリギリ前にずらし、ピストルの号砲と同時に飛び出した後は無音の世界を無心で走る。

勝敗は一瞬で決着がつく。

どんなに練習で努力してもこの一瞬に勝てなければ意味がない。どんなに練習で手を抜いてもこの一瞬に勝てば全てが光り輝く。

無限にある平坦な時間の中で、一瞬だけ特異点のように盛り上がって消えるこの瞬間が堪らなく好きだった。

この一瞬の輝きのために生きていたような気がする。

思えば、これは自分の生き方そのものだったかもしれない。

怠惰な自分は普段はだらけていたが、ここぞという時の集中力で数多の試練を乗り越えてきたような気がする。

学生時代はテスト勉強をしなかったが、それを言い訳するかのようにテスト本番では誰よりも集中力を高めて乗り切ってきた。

社会人になってからも昇格面接などの場でも集中力を高めることで、できる人間などいくらでも演じることができた。大勢の人前で話すことも苦ではなかった。

勿論そこには、陸上競技大会のように入念なイメージトレーニングとその瞬間に向けての意識の集中が必要であった。

ただ残念ながら、その集中力は長続きしなかった。

熱しやすく冷めやすい性格、やるときは徹底してやらないと気が済まない性格、反面飽きっぽくて根気のない性格、これらは全て陸上で培われたものだったかもしれない。

いや、それは言い訳に過ぎないだろう。本当のところは、そういう人間だったからこそ、陸上が合っていたのかもしれない。

自分にとって「走ることは生きること」そのものだったのだ。


記事紹介

こんなことを考えたのは、最近、lionさんの  「書くことは、走ることと似ているという記事を読んだのがきっかけだ。

lionさんは、現在66日ライティングランニングという共同マガジンに参加していて、毎日note記事を投稿し続けながら走っている

初挑戦の小説もRunnersというタイトルであり、小説の中でも走っている

ずっきーさん主催の「 #真夏のリレーnote 」では、記事を小説Runnersの中のできごととして見事に描き切り、バトンをアンカーに渡している。

まあとにかくよく走る人だ(笑)

自分が短距離ランナーであるのに対して、lionさんは長距離ランナーに例えられるかもしれない。

持久力に乏しい自分からすると、毎日投稿するクリエイターは尊敬に値する。とても真似ができない。次々に湧き出てくるアイディアと行動力には脱帽するしかない。

lionさんが「書くことは、走ることと似ているの中で語っているのは次に言葉だ。

「書く」と「走る」には次のような共通点があると思う。
・どちらも一人でやる。
・スタートとゴールがある。
・繰り返し負荷をかけることで、感覚が身についていく。

「書くことは、走ることと似ている」より

ともに納得感のある言葉だ。ぜひ記事を一読することをお勧めする。

lionさん、記事を引用させていただき、ありがとうございました。


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この記事は、高草木陽介さん提唱の#幸せ増幅器企画に参加してます。
この企画は誰でも参加自由とのことです。
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