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友達と離れた日に、内田かずひろ『みんなわんわん』を読んで泣いた話

※ 『みんなわんわん』の表紙の画像は、好学社さんを通して、内田かずひろ先生の許諾を頂いています。写真の撮り方が下手で、横長になってしまいましたが、実際はもっと正方形に近い形です。申し訳ありません。

悲しいことはいつも何の前触れもなくやってくる

悲しいことはいつも何の前触れもなくやってくる。足音もなく近づいてきて、私はたちまち捕まってしまう。不意打ちのバックハグ。ぐらんぐらん揺れる視界。みんなはそんなとき、どうしているんだろう?

内田かずひろ氏の『みんなわんわん』がお守り

私はそんなときは、いつも本の世界に逃げ込む。最近のお気に入りは、内田かずひろ先生の絵本『みんなわんわん』だ。

犬のシロくんがお散歩の途中に出会う友達の「わんわん」をクイズ形式で紹介してくれる『みんなわんわん』。(だから、どんな「わんわん」が出てくるかは、クイズの答えをバラすことになるから言わないでおこう)。

この絵本を読むたびに、私も絵本の中に入り込んで、シロくんと一緒にお散歩している気分になる。

コロナ禍。ずっとずっと外出できない日々だった。心がキューッと縮こまる、固くなる。小さな箱に閉じ込められて、唯一ある扉は厚くて重くて、どんなに力を込めて押してもビクともしない。「ここから出してー!」とドンドン扉をたたき続けたような日々。

そんな閉塞感の中、シロくんとの空想上ののどかなお散歩は、私の心を大いになごませてくれた。

「わんわん」たちの友達感が嬉しい。「わんわん」同士が友達であるだけではなく、絵本の中に入り込んだ読み手も、いつの間にか「わんわん」たちと友達になっている。

シロくんと一緒に何度も会いに行っている「わんわん」たち、一人一人の(種の違いを超えて友になっているのだから、こう表現させて欲しい)個性あふれる表情。友達を紹介するシロくんのその時々で変わる豊かな表情。すべてが愛おしくて、読むと心が柔らかくなる。この本は私のお守りになった。

そして、そのお守りが本領を発揮する日が来てしまった。

『みんなわんわん』の内容からは離れるが、この絵本が私の心を守ってくれた話を聞いて欲しい。

友達が少しずつ遠ざかっていった日々

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悲しいことはいつも前触れなくやってくる。この夏、友達と離れた。

友達と離れることも、その理由もありふれたものだ。似たような話を何度も聞いたことがある。それなのに、「それ」が私にもやってくるとは夢にも思わなかった。

いや…薄々は「それ」の足音が近づいているのを感じていたのではなかったか。認めたくないだけで。

友人ケイコの態度がなんかおかしいと思ったのは、いつからだったろうか。

何か揉め事があったわけではないどころか、意見の対立すらなかった。LINEすれば丁寧な返事が返ってきた。でも最近ケイコの方からLINEが来たことがあっただろうか。

嫌われたはずがない。そもそも最近は会っていないし、じっくり話してもいなかった。最後に会ったときに問題があったのだろうか。何度も最後に会ったときのことを思い出したが、自分に対してどんなに厳しい目で見たとしても、やはり問題があったとは思えなかった。そもそも、何か私に問題があれば、話してくれる仲ではなかったのか。

それでも、ケイコが少しずつ少しずつ、私との距離を離そうとしているのは確実だと思われた。

離された距離の長さに比例して不安が大きくなってくる。誰かが走り出したら反射的に追いかけて始まる子どもたちの鬼ごっこのように、無意識のうちに追いかけたくなる。

なんで。どうして。意味のない言葉が頭を巡る。

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ケイコと私は似たような仕事をしていた。私は平野にいたが、ケイコは既に高い山の頂点を極めていた。

才能や努力の差ももちろんあっただろう。それだけではなく仕事の仕方がそもそも違っていた。“どんなに温かい家庭や仲の良い友達や仲間がいても、仕事で成功しなければ自分の真の幸せは手に入らない”。そう考えて、次々と高い山に登るような仕事の仕方をしてきたケイコは多くの名誉を手にした。

私は日常と仕事が溶け合う中での日々の気づきをエッセイにしたり、楽曲や映画や本のレビューを書いていた。どこまでも遠く平野を行き、そこで見たものや聴いたものを文章にしていた私にとっては、仕事・家庭・友達などの全てが日常に組み込まれ、どれもが同じくらい自分の幸せに必要だった。

私とケイコは「幸せの形」が違ったのだろう。

それでも同じ世界にいるからこそ、立ち位置や仕事の仕方が違っても仲良くしたい。ケイコを失いたくなくて、私は悩んでいた。

友達と離れた日のこと

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悩み続けたことの答えも、前触れなくやってきた。ケイコの仕事における新しい挑戦を、共通の知人から知らされたのだ。今までだったら、直接知らせてくれていた。

ケイコは主体的な人なので「たまたま共通の知人を通して知らせることになった」とは思えない。それは、“私からはもうあなたには連絡しない”という意思表示であり、私との決別を宣言する行為に思えた。

二人の世界は今、決定的に離れたのだ。

ケイコは神話に出てくる翼の生えた馬のように、新しい山の頂を目指して駆けだしていった。力強くひずめの音を響かせて。

向かい風にたてがみをなびかせて、前足を大きく上げて駆ける美しい馬の姿が目に浮かんだ。向かい風が強いのは、ケイコがそれだけ速く走っているから。

翼があるから後ろは振り返れない。私のことはもう見えない。そしてその翼は、間違いなくケイコの努力でできている。

遠い遠い先に見える小さな背中に向かって話しかけた。

さようなら。ありがとう。

いつか山頂に着いたら、ケイコにしか見られないその景色の美しさを、私にも教えてね。

「幸せになってね」と願いながら、気が付くと私は泣いていた。慌てて『みんなわんわん』を開いた。

想像の中で「わんわん」たちの感触をめでる。温かい。柔らかい。もふもふ。愛。

『みんなわんわん』の最後のページは、涙で柔らかくなった私の心を貫いた。

みんな 
おおきさや 
かたちは
ちがうけど
みんなわんわん
ぼくの ともだち

この絵本で描かれている「多様性」や「共存」は、私とケイコの話ではないか。

そうだ。ケイコと私も幸せの形は違うけれど、どちらの幸せも尊いのだ。仕事における影響力の大きさは違っても、二人は友達なのだ。離れても。

私も涙をふいて歩き出そう。お散歩する「わんわん」たちのようにトコトコと。厚くて重い扉をするりと抜けて。

私にしか見られない景色もきっとある。もしも再びケイコに会える日が来たら、お互いの見てきた景色を話そうね。

***

『みんなわんわん』は2010年、長崎出版から刊行された。好評を博したが、2014年版元倒産のため絶版となった。

2021年に好学社より復刊された。「わんわん」たちの再デビューを心からお祝いしたい。

この絵本の出版と販売に関わったすべての人に敬意をこめて

三田綾子

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参考図書
『みんなわんわん』内田かずひろ 好学社
『みんなわんわん』かたち絵本 内田かずひろ 長崎出版

長崎出版版の『みんなわんわん』は近所の図書館で借りました。
好学社版のものに比べて一回り小さくて、表紙が黄色です。たくさんの赤ちゃんたち、子どもたちに繰り返し読まれていたようで、修正テープで何度も補正した後があり、ページにもめくったときにできるしわができていました。

この本がたくさんの子どもたちに愛され、そして復刊されたという事実は、この記事を書くのに何度も挫折しそうになった私を励ましてくれました。

長崎出版の『みんなわんわん』の表紙の画像も(もちろん内田先生の許可を得た上で)載せたかったのですが、残念なことに、図書館のシールが表紙の「わんわん」の上に貼られていて、2人分の「わんわん」のお顔が見えないのです(汗)。それでは不公平なので、やめました。

文章には表れていませんが以下の図書も参考にしました。

えほんまんが『シロと歩けば』①~③ 内田かずひろ 竹書房
『ロダンのココロ」1~3 内田かずひろ 朝日新聞社


みんなも「わんわん」と遊んだり慰めてもらったりしてくださいね!






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三田綾子
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