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【ショートショート】本音と建前

「ねぇ、見て! 昨日、うちの子の保育園の発表会だったのー!」

そう言った同僚は、悪気なんてこれっぽっちもない様子で、私にスマホを見せてきた。

私は口角を上げ、「かわいいねー」と返事をする。すると、同僚は子どもが直前に風邪をひいて参加できるかヒヤヒヤしただの、無事に参加できて嬉しかっただの、止めどなく話し続けてくる。

私は上げた口角をしっかり保ちながら「大変だったねー」やら「よかったねー」やらと相づちを打つのだ。

独身アラフォーの私にとって、彼女の話はマウントをとられている気にさえなり、面白くないのが本音である。他人の子どもの話など、正直なところ、どうでもよい。

しかし、私も大人の社会人。自分の本音には蓋をして、当たり障りのない言動で対応する。もはやこの程度のことで、いちいち乱さない心は手に入れているのだ。

私は同僚との会話を無事に終え、自分の席に戻る。デスクの上には書類が山積みだ。頼まれると断れない性格は、この書類の山をなかなか解消できない。

一番上に積んである書類に目を通しながら首をぐるりと一周回すと、首はゴリゴリと鈍い音を響かせた。

ここのところ、肩こりが酷い。時間を見つけては整体院やら、マッサージ屋さんやらに行くが、良くなるのはせいぜいその日だけである。大抵、翌日には元に戻ってしまうのだ。

私は書類を持っていない方の手を凝り固まった肩に当て、軽く揉みながら、この後の作業の手順を頭の中で組み立てる。

と、その時、隣の席のタナベさんがホクホク顔で、コロコロ椅子に座ったまま、話しかけてきた。

「ねぇ、聞いて。すごく良い整体院を見つけたの!」

彼女は私よりも一回り年上の先輩で、入社の頃からお世話になっている恩人だ。普段からあれやこれやと、いろんな人を気にかける、根っからの世話好きタイプである。明るくさっぱりしている性格もあり、彼女を悪く言う人を私は見たことがない。

今回もナイスタイミングでこちらの興味がある話題を提供してくれるらしい。私は身を乗り出して話を聞いた。

「いいですねー。それで、どこにある整体院ですか?」

すると、タナベさんは待ってましたと言わんばかりに、クリッとした目をさらに大きくして続けた。

「それが本当にすごい所なのよ。私もこんなの初めてで・・・・・・最初は信じられなかったんだけど・・・・・・通ってみたら、その効果が見事でね。一気に信じちゃったわけ」

タナベさんの話には、全く具体的な情報が入っておらず、私は少々困惑した。すると、そんな私の気持ちをすぐに察知したらしく、タナベさんは苦笑いをした後にこう言った。

「ごめん、ごめん! こんな風な説明じゃ伝わらないわね・・・・・・でも、とっても良い整体院なの。ちょっと変わっていて最初はビックリすると思うんだけど、あなたみたいな人にピッタリだから、ぜひ一度行ってみて」

そう言ったタナベさんは整体院の住所と地図が書かれた小さな紙を渡してきた。

私は困惑しつつも、口角を上げ、「ありがとうございます」とお礼を言い、差し出された紙を受け取った。

いつもお世話になっているタナベさんがあんなに勧めてくれたのだ。私は次の休みにその整体院に行ってみることにした。

ちょっと変わっていて最初はビックリすると思うんだけど・・・・・・とタナベさんは言っていたが、入店したそこは何の変哲も無い、いたって普通の整体院だった。先生も贅肉とは無縁といった整体院の先生にはよくいるタイプ。

一体どこが変わっているのだろう・・・・・・何かの間違いだろうか?

そんな疑問を持て余していると、挨拶もそこそこに私は無機質なベッドに案内され、うつ伏せになるようにと指示された。

私が言われるがまま靴を脱ぎ、うつ伏せになっている間に、先生は「まず体のバランスを見ていきますね」と説明した。

だらんと寝転んだ私の肩や背中などを軽く触れたり、足のかかと同士を合わせて長さを比べるようなことをした。それが一通り終わると、先生は静かに口を開いた。

「体の左右のバランスがかなり崩れています。その影響で首や肩にかけて、凝ったり張ったりの症状が出ているはずです。お心当たりはありますか?」

私は先生の問いかけに、頭を軽く持ち上げながら答えた。

「えぇ、おっしゃる通りです。首や肩は常に調子が悪いです。我慢ができなくなると、整体院やマッサージ店などに行くのですが、なかなか改善せずで・・・・・・良くなる見込みはありますか?」

すると、先生は「もちろん良くなりますよ」と力強く言った後、突然奇妙はことを言い出した。

「まずは日常の中の本音を増やす必要がありますね」

私は脈略のない話に口をポカンと開けたまま、先生を見つめた。しかし、先生はそんな私を気にとめる様子もなく、涼しい顔で続けた。

「人間の体というものは、本音と建て前でバランスを取っておりまして、あなたの場合は建前の方に偏りが大きく見られます。そこで、バランスを取るために、日常の中にもっと本音を取り入れる必要があるのです」

私はとんでもない整体院に来てしまったのではないか・・・・・・そう思わずにはいられなかった。だが、大切な先輩から紹介してもらった手前、逃げ帰ることもできないのだ。私は「まな板の鯛」になった気持ちで、その後の施術を受けた。

先生は本音が言いやすくなるツボがあると言い、今回はその辺りを中心に体を整えるというようなことを説明していた気がするが、もはや私の耳は真剣に聞こうとしなかった。

「本日はこれで以上になります」

と先生に言われ、私はそそくさと身支度を整えながら、つい本音を漏らしてしまう。

「本当に体のバランスと本音って関係しているんですか? ちょっと信じられないんですけど・・・・・・」

そう言って私はハッとした。なんてことを言ってしまったんだろう。明らかに不信感を全面に出した言葉に気まずくなってしまうではないか・・・・・・

すると、先生はまたしても気にもしていない様子で、

「いいですね。本音が出てきていますね!」

と、なんとも嬉しそうに言った。

私は下を向いたまま、お会計を済ませた。まるで何かの犯人のように、足早に店を後にしようとする私に、先生は「ちょっと待って」と呼び止め、穏やかな口調で説明してくれた。

「本音と建前のバランスが取れると、心も体も軽くなり、過ごしやすくなりますよ。本音は決して悪いものでもありません。うまく使えば、人間関係を円滑にすることだってあるのです。ちなみに、本日の施術で本音は出やすくなっていますが、効果は少しずつ薄れていきます。なので、ご自身でも意識して本音を言うように努力をなさるか、もしくはまたご来院いただければ、本音が言いやすいように整えますので、お気軽にどうぞ」

大真面目にそんなことを言われた私は、先生と目も合わせずに、「はい・・・・・・」とだけ返事をして、その場を後にした。

帰宅した私は、ため息をつく。明日タナベさんに会ったら、なんて言えばいいのだろう・・・・・・。「休日に行ってきますね」なんて言わなければよかった。私は後悔しつつも、まぁ、いつものように話を合わせておこうと心に誓った。

しかし、事はそう上手く運ばなかった。

翌日、職場でタナベさんから整体院はどうだったかと聞かれた私は、うっかりこんなことを言ってしまう。

「タナベさん、あんな変は整体院を紹介してくるなんて、ビックリですよ!」

お礼を言おうと思っていたのに、私の口から出たのは私の本音であった。

気まずくうつむく私にタナベさんはニコニコしながら、

「そうか、そうか。それは結構なこと」

とだけ言い、私の元を去って行った。

私は自分のことが怖くなり、なるべく人と話さずに、ただひたすら黙々と仕事をこなした。その甲斐あり、あと数時間で定時の時間というところまでやってきた。ホッとしたのもつかの間、上司が私の席までやってきてこう言った。

「申し訳ないんだけど、この後、残業頼める?」

この上司はいつもそうだ。突然、帰宅前に大量の仕事を振ってくることがある。しかも、急を要するような内容ばかりな上に、自分は定時でサクッと帰ってしまうのだ。普段の私なら、にこやかに引き受けるのであろう。でも、もちろん今日の私は違う。

「毎回、急にそんな大量に仕事を振られたら、こちらも困ってしまいます。先方に迷惑をかけるわけにはいかないので引き受けますが、一人では大変なので手分けしてやってもらってもいいですか?」

私の問いかけに、上司は一瞬たじろいでいたが、首を縦に振った。

こんな風に私が意見をしたのは初めてのことだった。もちろん、気まずい気持ちがないと言ったら嘘になる。しかし、言いたいことを言えた爽快感があったのも事実であった。

それからというもの、上司は無理な残業を頼んでこなくなった。いつも山積みになっていた私のデスクの書類たちも少しずつ緩和されていっている。なんだか気持ちまでも軽やかになるから不思議なものだ。そんなことを思い、足取り軽く社内を歩いていると後ろの方から馴染みの声がする。

「お疲れ様―」

振り向くと、例の子持ちの同僚がなんとも楽しそうな表情でこちらに話しかけてきた。

どうやら週末に家族でテーマパークへ行ったことを話したいらしい。

黙って聞いていたら、少なく見積もっても十五分は話し続けるだろう。私は遠くを見つめつつ、こんなことを言った。

「いいなぁ・・・・・・。私は独身だから、うらやましいよ・・・・・・」

すると、同僚はハッとした顔をしたかと思うと、なんともばつが悪そうに苦笑いをして去って行った。

私は軽くなった肩を感じながら、足早に去っていく同僚の後ろ姿をにこやかに見送った。

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