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【ショートショート】声が聞こえる



また聞こえる・・・


この家に引っ越してきてからというもの、いつも同じ時間帯に、同じような声が聞こえる。何日かそんなことが続き、気になったボクは隣に面した壁に耳を当ててみた。すると、女性の金切り声がボクの耳にダイレクトに入ってくる。


やはり、お隣さんは感情的な女性のようだ。カップルのやりとりなのか、「私と彼女とどっちが大切なの?」と騒ぎ立てている。


迷惑な話だ・・・と思いつつ、引っ越してきたばかりでご近所トラブルになるのもごめんである。ボクは不本意ながらも、しばらく様子を見ることにした。


カップルの喧嘩であれば時期に落ち着くだろうというのがボクの見立てであった。しかし、その予想はあっさり外れてしまう。


一週間経っても、二週間経っても同じことが繰り返されるのだ。来る日も来る日もそんなことが続けば、さすがに我慢の限界だ。


ボクは仕事の昼休みを利用して、アパートの相談窓口に電話をすることにした。賃貸アパートといえど、大手建設会社のアパートだ。こういうサポートが充実しているからありがたい。

ボクが事の詳細を説明すると、電話口の女性は「なるほど・・・」と相づちを打ちながら聞いてくれた。話に区切りがついたところで、
「お客様のお部屋番号をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
と聞かれたので、ボクはこう答える。

「ボクが住んでいるのが201号室なので、相手は202号室です」

すると女性は
「わかりました、ただ今お調べ致します」
と言い、それと同時にパチパチとパソコンを打つ音を響かせた。ボクはその音を電話越しに聞きながら、しばらく黙って待つ。


これでようやくお隣さんの騒音ともお別れか・・・ボクの安堵に近い感情とは裏腹に、パソコンを打つ音が静まった後に発せられた女性の声色は不信感をあらわにしたものだった。

「そちらのアパート、202号室は、現在空室となっております・・・」

予想もしていない展開に、ボクは言葉を失った。たしかに毎晩、隣の部屋からは女性の声が聞こえているのだ。何度も隣の部屋に面した壁に耳を当てて確認したので間違いではない。ボクの頭の中には次々といろんな考えが巡っていく。


誰もいないはずの部屋から声が聞こえている? まさか事故物件で、心霊現象が起きているというのか?隣の部屋がそうだと知っていたら、絶対に引っ越してこなかった。


ボクは、それとなく探りを入れる。しかし、電話口の女性は「事故物件ではありません」の一点張り。やりとりは一気に平行線となった。途中からは、むしろこちらが嘘をついているとでも言いたげな雰囲気に、いたたまれない気持ちにさえなった。


このまま話をしていても、らちがあかない。ボクはひとまず電話を切ることにした。


誰もいないはずの隣の部屋から聞こえる声への恐怖やら、自分が変人扱いされたことへの怒りやら、これからどうしたらいいのか分からない不安やらで、ボクは頭を抱えた。


しかし人は追い詰められた時、思わぬひらめきが舞い降りることもある。ボクは職場に霊感が強い女性がいることを思い出した。


彼女のおばあさんはどこかの島に住むシャーマンで、彼女自身もその血を引いており、普通の人よりもすごいのだ。


ボクは昼休みが終わる前に彼女を見つけ出し、今起きた出来事を矢継ぎ早に話した。驚きながらも話を聞いてくれた彼女は、自分にはどうすることもできないが、知り合いの有名な霊能力者を紹介することならできると言った。


彼女の話だと、その人は大沼さんという人で、その界隈ではかなり有名な人らしい。ボクは迷わず、大沼さんを紹介してもらうことにした。連絡先を教えてもらったボクは、不安のあまり、その日のうちに大沼さんに連絡を取った。


すると、大沼さんはすでにある程度のことを把握してくれていた。低音で穏やかな口調に、ボクは幾分か冷静さを取り戻す。そして、ありがたいことに、大沼さんは後日、来て確認してくれると言った。現場を見れば大抵のことは分かるらしい。


ボクは安堵する一方、新たな不安に襲われた。それまでどう過ごしたものか・・・誰もいないはずの部屋から聞こえる声に、ボクは正気で耐えられるのだろうか・・・答えはノーであった。

大沼さんが来てくれるまでの数日間は、近くのホテルで過ごすことにし、ボクは仕事が終わってから荷物だけを取りに自宅へ戻った。階段をのぼり、202号室の前を通る。自宅にたどり着くには必ず通らなければないないのだ。あまりの恐怖で、下を向き、息まで止めた。何の効力もないだろうが、息を止めずにはいられなかった。


やっとの思いで自宅に到着したものの、なんだかいつもよりも空気が冷たく感じる。ひんやりとした床を小走りするように、ボクは必要な荷物をキャリーバッグに乱雑に詰め込んだ。そして逃げるように自宅を後にした。


それからの数日、ボクはこれからどうしたものかと頭を悩ませた。もしも、事故物件による心霊現象だったとして、このまま事故物件の隣に住み続けるのだろうか・・・とはいえ、今回の引っ越しで随分お金を使ってしまい、節約をしなければと思っていたところ。再びすぐに引っ越しをするのはどう考えても難しいのだ。


だから、ボクはこう考えた。仲介してくれた不動産屋さんにクレームを入れよう。そうすれば、何かしらの補償や返金などに応じてもらえるかもしれない・・・。そのためにも、まずは大沼さんに来てもらい、事故物件による心霊現象であることを明らかにすることが先決だ。


ボクの決意は揺らぐことなく、大沼さんが来てくれる日を迎えた。アパートの前で待っていると、にこやかな表情で大沼さんはやって来た。清潔感のある白髪交じりの短髪に、年齢不詳なシュッとした出で立ち。ボクが何も言わずとも「大丈夫ですよ」と言ってくれ、表情はまるで七福神にように神々しかった。この人がすごい人であろうことは直感的に分かった。


ボクは大沼さんを自宅へ案内する。


「ここが例のお隣さんと面した壁です・・・」


何度も耳を当てた壁を指さすと、大沼さんは壁の前まで移動し手を当てる。その表情は、それまでのニコニコ顔から一変、一気に真剣な眼差しへと変わっていた。しばらく手を当て続けていた大沼さんだが、そのうちゆっくりと手を離し、ボクの方を見て言った。


「たしかに隣の部屋には霊がいますね」


大沼さんの言葉にボクの手足は一気に冷たくなる。そんなボクを励ますように、大沼さんはにこやかな表情に戻り続けた。


「でも、安心してください。霊といっても生き霊です」


ボクはキョトンとして大沼さんを見る。すると大沼さんは、にこやかな表情のまま、丁寧に説明してくれた。


「生き霊とは、生きている人間の魂が体の外に出て自由に動き回るものです。おそらく、以前住んでいたカップルの女性の恨めしい気持ちだけが残ってしまったのでしょう。しかし、人に危害を加える感じでないので、ご安心ください。二~三年もすれば、時期にいなくなるはずですよ」


ボクは予想もしていなかった展開に多少困惑しつつも、しばらく考えてからこう問うた。

「なるほど・・・安心していいのですね。ちなみに、生き霊って事故物件として成り立つと思いますか?」


ボクの質問に大沼さんは目を丸くした後、腕を組みながら答えた。

「私はその手のことに関して詳しくないので憶測の話になりますが、事故物件とはその部屋でどなたかが異常な状態で亡くなってしまった物件を指すことが多いように思います。今回のケースはそもそも亡くなった人の霊でもありませんし、全く該当しないのではないかと・・・」


大沼さんの説明にボクはガックリ肩を落とした。


この誰もいない部屋から毎晩声が聞こえる家で、これからどう過ごしたものか・・・ボクの思考はまた振り出しに戻った。

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