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連続小説「火球」(1)

*この物語はフィクションです。

紅い夕陽が東京湾の向こうの丘に沈もうとしていた。その様子を海岸段丘の上に建つ喫茶店のテラス席から何かを想うこともなくただ眺めていた。

都心から高速道路を走って1時間ほどのその町は寂しいほどに廃れ、喫茶店の店内の席は空席が目立っていた。かつては週末には入店待ちの行列ができたほどだったらしいが、今はその面影はない。

店内からも夕陽を見ることはできるが、この席からの眺めを気に入っていた。テラス席には他に客はいない。聞こえるのは風の音だけである。

利用客が減少したことでスタッフをなくしセルフサービスとなったことがむしろありがたかった。配膳の際に話しかけてくるスタッフがいなくなったことで誰とも会話せずに時が過ぎていくことを愉しめるようになったからだ。

陽が暮れて辺りが闇に包まれたら店内のカウンター席に移動して、もう一度暖かいコーヒーをいただくことがルーティーンのようになっていた。カウンター席に座るとただ一人のスタッフであるオーナーと向かい合うことになるが、オーナーは客の様子から客の嗜好をつかみ取ることに長けていて、むやみに話しかけてくることはなかった。それでいてこちらから問いかけると、きまって適切で短いな応答が返ってきた。

何も用事がない週末は東京湾に面したその町で過ごすことが多かった。その町の人口減少は急激に進み、かつては大手企業だけでなく中小企業の保養所銀座だった頃の賑わいは、はるか昔の記憶としても消えようとしていた。

小さな保養施設が売りに出ていることは喫茶店のオーナーから聞いた。しばしば訪れる気に入りの海水浴場のすぐそばに建つその保養施設は個人宅だと言われても何ら不思議に思わないほどの小ささであった。辺りとは趣が違う外観だったので、喫茶店オーナーから売りに出されたと聞く前から、気になっていた物件だった。

アドリア海沿岸やエーゲ海の島々にある住宅のような外観は心を癒してくれる雰囲気をもっていた。強い日差しを遮るために窓の開口面積は狭く鎧戸がデザインとしてではなく実際のシャッターとして取りつけられていた。

フルにリノベーションするとその費用が購入代金よりも高くなることから、買い手がつかず何度か値下げが行われたことで手が届くようになった。しかしリノベーション費用を一括で支払えるほどの資金力はなかったので少しずつ改修して行くことにした。

喫茶店からその建物まではクルマで5分もかからない。到着してすぐに部屋の空気を入れ替えようとして、リビングの窓と鎧戸を開けようとしたら、すでに陽は沈んでいるはずなのに、海の向こうに赤い火球が見えた。

とっさに鎧戸とガラス窓を閉め直し、携帯していた貴重品が入ったバックだけをつかんで、急いで地下室へと向かった。

地下室の防犯カメラのモニター画面から、火球がさらに大きくなっていく様子をカラー映像で確認することができた。まもなくして強い地響きと揺れを感じた。何かが吹き飛ばされるような鈍い音が何度も地下室にまで伝わってきた。

湾を挟んだ向こうの半島には米海軍の基地と海上自衛隊の基地がある。何らかの大規模な爆発があったのだろうか。

地下室の非常脱出口の扉が閉まっていることを確認して、スイス製ガスフィルターの運転スイッチを入れた。そう、この地下室は核シェルターとして造られていたのである。ガスフィルターは年代物だったので新品に交換したが、それ以外の設備は簡単な補修で十分に継続使用可能だった。購入を決断した最大の要因は、この地下核シェルターを破格の値段で手に入れることができたからである。

落ち着いて確認すると家庭用蓄電池は満充電になっていた。急ぎテレビのスイッチを入れると、アンテナが爆風で傾いてしまったのだろうか画像が少し乱れていた。しかし視聴はできた。

どのチャンネルでも緊急速報の字幕で大爆発を伝え始めていたが、ほどなく臨時ニュースに切り替わった。そして恐ろしい内容のアナウンスが聞こえてきた。

「神奈川県横須賀市に核ミサイルが着弾し爆発した模様です。」

「住民のみなさん、堅牢な建物や地下街に至急避難してください。」

「近くに隠れる建物などがない場合は地面にひれ伏してください。」

「続報です。」

「神奈川県三浦半島全域と横浜市が壊滅状態になっているとのことです。」

「さらに続報です。」

「神奈川県相模原市付近に核ミサイルが着弾し爆発したもようです。」

「相模原市や座間市などが壊滅状態との情報が入ってきました。」

「たった今、防衛省より、東京にもミサイルが向かっているとの情報が入りました。」

「東京都内のみなさん、堅牢な建物や地下街に至急避難してください。」

「みなさん、至急避難してください。わたくしたち報道関係者も、これから急いで避難します。」

「$%#!?¥・・・」

テレビ画面が暗くなり”電波を受信できません”という表示だけになった。


*少しでも面白いと思たらスキをお願いします。


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みたがく
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