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第9回 大卒資格はプライスレス

大学あるある話(エピソード)

 皆さんが4年間の学びを終えたとき、ある友人は所属学部が示す将来像のとおりの就職や進学を実現しているかもしれないが、そういう友人ばかりではないはずである。例えば、法学部を卒業したのに銀行員になっているとか、文学部を卒業したのに起業しているとか、あるいは教育学部を卒業したのに総合商社に就職しているとか。実に様々な次のステージへと巣立っていくことが少なくない。何故、こんなことが起こってしまうのか。
 今回は教育学部を卒業したのに自衛官となったRくん、理工学部を卒業したのに広告代理店に就職したSさん、外国語学部を卒業したのに住宅建設企業に就職したTさんに登場してもらい、彼彼女らからの教訓を得て欲しいと思う。

Rくんの場合「自分がしなければならないこと見つかりました」

 Rくんは教育学部に入学した当初、卒業後に中学校の国語の先生がやりたいと抱負を述べていた教え子である。1年次から2年次にかけては、C大学で担当していた私の中国語講座を受講し、4科目8単位を付与した学生であった。語学の単位を取得した後も、時々教員控室を訪れてくれて近況を報告してくれていた。そんなRくんも4年次に突入したなぁと思っていた矢先、彼から「自衛隊に入隊したいと思っています」と打ち明けられた。
 教員免許の取得も順調であると聞いていたので、予想外の展開であったことは事実であるが、よくよく聞いてみると「一般就職している自分の姿が想像できなかった」ことと「自衛官を経験することで得られる学びが人生の役に立つと感じた」ことが彼を自衛隊への入隊へと促したらしい。(半ば彼の決心の翻意を期待して)ご両親にもキチンと説明した方が良いと伝えて家族会議が後日開かれたようだが、母親には泣かれて話にならなかったが、父親は悔いのないように生きなさいと後押しされたとの報告を受け、彼の決心どおり卒業後速やかに入隊していった。彼にとっての大学4年間は何だったのだろうか。

Sさんの場合「パパと同じ仕事がしたかったんです」

 Sさんは、私がK大学で中国政治経済特論の教鞭を執った際に同講義を履修した学生である。感情(論)よりも理屈が好きな傾向があるようで、偏見であると言われるかもしれないが、女性にしては特異な思考をもっているなというのが講義を通しての私のSさん評であった。一般に理系の学生は大学院修士課程まで進学するのが普通のルートだということを聞いていたので、Sさんも院進学するのだろうと思っていたのだが。
 ふりかえってみると学部4年生で私の中国政治経済特論を履修するのは単純に卒業要件の単位数合わせだろうと思うのだが、期末試験後に挨拶に来たSさんは私に「中国に進出する日本企業の広告担当をしたいと思って某広告会社に応募したら内定を頂きました。来春から頑張ります!」と報告をもらった。ライオンがお辞儀をする広告なんて作っちゃだめだよと軽くジャブを打ったつもりが鼻で笑われてしまったことを今でも覚えている。聞くところによれば、Sさんのお父さんが都内の某大手広告代理店の幹部だそうで、父親の背中を見て育ったのがSさんということのようだった。とはいえ、なぜ中国だったのだろう。

Tさんの場合「語学を活かした仕事がしたかったんです」

 Tさんは同じくK大学で教えた頃の学生であるが、Sさんよりは普通の女性らしい傾向だったように思う。中国政治経済特論における内容よりは、同概論において教授していた日本と中国の各種比較について、毎回のリサーチペーパーでキチンとした回答を提出していたのが印象に残っている。そんなTさんは、実は3年次秋の段階で、ある住宅建設企業から「内々定」を獲得していた。その後4年次は指導教員のゼミ以外は東アジア、東南アジア、南アジアおよびアフリカに関わる情報を学べる科目を可能な限り履修することにし、その1つが私の中国政治経済概論だったというわけである。
 アジア・アフリカに特化して学ぼうとする点に、Tさん自身のある目的があったのことは、彼女と話していて理解できた。とはいえ、外国語学部卒で確かに<語学を活かした仕事>という点は学部の求める将来像と重なるのだが、なぜ住宅建設企業だったのだろうか。CAさんを目指す、空港職員になる、日本語教師として海外協力隊で働くといった夢の実現を目指している同級生が多い中で、Tさんの就職先は異彩を放っていたと思う。

所見

 この3人のエピソードを思い出すとき、つくづく大学が掲げるアドミッション・ポリシー(AP)やカリキュラム・ポリシー(CP)などを無力に感じつつも、APやCPに揉まれながら「自分自身」を確立することが大学教育の一部であるとも感じ、何とも言えない心持になる。これらのエピソードは肯定的な意味でのプライスレスを示していると私は考える。
 大学における語学単位については、少なからずの学生から評判が悪い。いわゆる受験英語の延長線上で、もう見たくもないというのが本音のところなのだろうと思われる。しかしながら、第二外国語のひとつとして提示されやすい中国語の講師を少しばかり経験させてもらった立場から言うと、大学における語学単位は受験英語の延長線上にあるものではない。むしろそこでは自分の母語すなわち日本語と各国語を比較してみる。それを五感をつうじて体験してみることによって、母語の理解を深めるところに目的がある。
 例えば、英語や中国語のように主語の直後に動詞をもつ言語の場合、日本の漫才のような、最後になって梯子を外すような笑い・オチを作り難い。どこか直感的で、ストーリー・予測がつきやすいものになってしまう。一方、直感的でないからこそ日本語は主語を隠していたとしても意思疎通できてしまうという不思議さがある。また、「14時の電車でいくからね」と言われたとき、あなただったら「14時発の電車で来る」のか、それとも「14時着の電車で来る」のか、どちらで受け止めるだろうか。こういったところから、一文ですべてを言い表せることも大事なスキルであるが、複数文で正確に言い表せることも大事なスキルであることを実感できるかもしれない。要するに日本語をより理解するためにこそ、大学における語学単位は用意されている。
 法学部や経済学部のような古くから存在する学部群の専門科目は、その学部の前提となる学問を構成する具体的な諸分野の科目が充実しているはずである。したがって、APやCPに掲げられる卒業後の進路先に向けて学びを深めることが比較的容易である反面、それらの進路先を望まない学生にとっては無味乾燥な学びになるときがある。とはいえ、無味乾燥な学びの中にも興味をもつ何かを見つけることによって、法学部卒業生が経済研究科へ進学したり、農家として起業したりといったことを成功させてきた歴史もある。一方、総合政策学部や地域環境学部、データサイエンス学部のように複数の学問分野を組み合わせて創設される学部群の専門科目は、広く浅くを地でいくように<一般教養科目>的な講義が展開されるものと、ガチで<専門科目>的な講義が展開されるものが混在している。何らかの目標や進路先は掲げられているものの、どうやって到着するかは学生一人ひとり千差万別のルートが用意されている(というか、一人ひとりが開拓していく)。
 したがって、現在に至るまでに一般教養科目と専門科目の区別は、説明がしやすいほど明確ではなくなっている。むしろ各担当教員の語り口から学生一人ひとりが「何らかの面白さ」を感じ取り、その感じ取った面白さを基にして学びを深めていくスタイルが合理的であるように思う。だからこそ、そうやって修得する大卒資格の価格は有るようで無い。まさにプライスレスなのである。

ポイント

 Rくんは、中国語との比較の中で日本語に目覚めたと言ってよいかもしれない。『菊と刀』の日本語版はオリジナルの英語版ほどの迫力がないというので中国語版を試しに貸したところ、英語版に似ているとの感想を言うほど良い意味で「変人」であった。4科目8単位の中国語講座であったが、おそらく私よりも中国語は上達したと思う。中国調査に同行させた際には現地の調査協力者とその大学生らに向かって当時の南京市の人口以上にどうやって死者を増やせるのかと「南京大虐殺」を否定する主張し議論できるぐらいになったので間違いない。
 国語の先生を目指していた学生が自衛官を目指すようになるというのは一般には想像し難い(と私は思う)。しかし、国語の教員として働こうと教育実習に行った際の体験や若い世代の日本語の使い方や国語離れをどうにかする前に、自分の日本に対する理解や所謂「愛国心」「郷土愛」を体験していない事に危機感を覚えたそうである。学外学修を通じて自らに足りないものを探求し、それを補おうと次のステップへと進むと言えば聞こえは良いだろうが、Rくんが在籍していた大学のAPやCPからは想定外すぎる進路先であったことも確かだろうと思われる。
 なお、数年後Rくんは目標を達成できたことをもって自衛官を辞め、地元の中学校の国語の教員として転職を果たしている。その報告を受けた際の話の中で、「御蔵先生、僕は大学でその当時の自分に足りない部分を見つけられたから行ってよかったと思っています。お陰様で令和の金八先生になるかもしれません」と言った変人ぶりも印象に残っている。令和の生徒に対して金八先生はウケが悪い=嚙み合わないのではないかとも伝えておいたが。
 Sさんは父親の背中が偉大だったのだろうと思う。広告代理店勤務は理系の学部へ進学した時点で決めていたそうである。問題は、なぜ中国だったのかである。実は、ある中国調査の際に、現地でSさんと再会してこの疑問をぶつけた。私が紹介していた中華人民共和国の法律の理屈が自分の性に合っていると感じたそうで、それがきっかけで対象を中国に絞ったのだそうだ。教師冥利に尽きるというのはこの事かもしれない。
 ちなみに、中華人民共和国の法律の理屈とは、法が合法であると書いていることは守られるが、書いていないことは守られないという単純なもの。比較の意味で日本の法律の理屈を示しておくと、関連する条文の一部一部について、その時々の状況に応じて解釈した後に守られるかどうかを判断することになる。つまり、ルールがあるかどうかで単純に白黒の判断ができる方が難しくないというのである。
 なお、講義の中で必ず私は、ルールの中で生きるということは舗装された道路の上を走るようなものであり、それ以外を走れないということ。それって自由なのだろうかと常に問いかける機会を設けている。そのSさんの答えが「舗装された道路の上で『自由に』走ればいい」であるから、これはこれで論理一貫していると思う。
 Tさんの場合は、外国語学部にとって新しい地平を切り開ける先駆者に映る事例だった。<語学を活かした仕事>として外国語学部において一般に示される将来像としては、スチュワーデス・CAや旅行代理店勤務、通訳者・翻訳者、大使館勤務などが多い。そんな中での住宅建設企業勤務という選択だったので、卒業後にその経緯を聞いて、大学教育の魅力を改めて確認できた。
 まずTさんが住宅建設などの不動産業界に興味をもったきっかけは、ウドウジュン(仮名)先生の「労務管理論」を通じて日本の労働力不足を学修したことだった。その学修の中で労働力不足を解消する一環としての外国人労働者の問題を発見したという。次に、留学生との交流の中で「労働ビザ」や「帰化」といった問題を認識するようになり、3年時のインターンシップにおいて人材派遣の現場を体験した際に、住宅建設企業に勤務して企業の抱える雇用・労働力不足問題と外国人労働者が抱える就労・言語の壁問題の仲介的な役割を果たすことで語学を活かした仕事ができると閃いたそうである。
 現在では日本社会の様々なところで外国人労働者がこの社会を支えていることを実感する。それに先立って気づいたTさんは先見の明があったということかもしれない。とはいえ、ここで強調したいポイントはそこではなく、Tさんも、そしてRくんもSさんも「自分で考えて行動する」ことを実践している点であると私は思う。

課題

 今回は大卒資格はプライスレスと題して学部学科が事前に示す将来像や進路先を無視して自分の道を進んだ私の教え子の中から代表的な三人に登場してもらった。学費を支払う側の目線に立てば、支払う先の学部学科が示す将来像や進路先という目的を達成できれば学費を支払った価値があると一般には言えよう。そうすると、今回紹介した彼彼女らの結果から見れば、学費を支払った価値はないことになるから、文字どおりプライスレスとなる。
 しかしながら、彼彼女らは自分で考えて行動して自分の将来像や進路先という目的を達成するまでの過程で、大学という空間を有効活用していることも確認できる。そうすると、学費を支払うことによって子女が有効活用できる大学という空間の提供を受けて目的を達成できたのであるから、学費を支払った価値があるということになろう。
 見方を変えればどうにでも言えるということではない。大卒資格を0円にするか、お金では買えない価値にするかは、大学が決めることではない。大学という空間に身を置くことが許された令和の大学生の皆さん一人ひとりが決めることである。課題は明らかであろう、様々な学修を通じて「自分が真に興味関心をもつ事を〈自分で〉発見すること」である。蛇足しておくと、教員はあくまでその後方支援や先導者でしかなく、一人ひとりが大卒資格を手に、自分の未来をどう切り拓いていくかに集約できる。
 一教員は、教え子全員が、それぞれ自分自身の価値を高めてプライスレスな存在になることを願っている。


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